後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

無我

 6月4日。土曜日。ここ数日は暑い日が続いています。もうすっかり夏のようです。私の車は冷房が全く効かない(おそらく冷媒ガスが切れている)ので、そろそろこの季節ぐらいからやばいです。毎回窓を開け生ぬるい風を浴びることでお茶を濁しています。ガスを補充してもらいに行けば良いだけの話なのですが、それすらも面倒で、あと「どうせ夏の間だけだし…」と思ってしまうため(去年はそれで乗り切った)、直せずにいます。そんなわけで今年も生ぬるい風を浴びる季節がやってきました。

 今日は特に書くこともないので、最近読んだ本の話。今週はなかなか時間がとれず1冊だけ。ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか』を読みました。

 なんとなくここ最近は仏教や神様の話、民俗信仰なんかに興味があって、それらの本をよく読みます。といっても、この本(『なぜ今、仏教なのか』)は仏教という宗教そのものや、仏教における究極の目標である輪廻から抜け出すこと(解脱)については書かれておりません(著者自身もそこには興味がなかったようです)。どちらかというと、著者が瞑想合宿に参加して体験したこと、そしてその体験と近年の脳科学や心理学で解明されてきた科学的知見を結びつけてみる、といった内容でした。著者によると、仏教における「無我」や「空」の概念は科学的に説明できる部分もあって、逆に言えば科学がそういった境地を解明(それらしい説明をつける)以前から、仏教では自身と世界との関係を捉えて実践してきた、とのこと。ややこしい部分もあったし、実際に体験してみないとそのわからない部分もありましたが(だから「修行」というものがあるのでしょう)、それをさしおいても本自体は面白かったです。

 そういえば以前、何かに没頭して「ゾーンに入る」という体験について考えたことがありましたが(きっかけは某ラジオ番組です)、あれはまさに仏教でいうところの「無我」にあたる(か、もしくはそれに近い)ものなのかもしれません。仏教では「無我」というのは自己の内側と外側との境界がなくなり世界と一体化していくことを指すようですが、著者はそれに近い体験を瞑想を続ける中で経験した、と述べていました。そう考えると、何かに没頭することは瞑想と同じ効果があるのかもしれません。だから「無我」夢中というのかもしれないな…

 

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