後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

さよなら三角

 5月21日。土曜日。ここ数日は天気は悪くも暖かい日が続いています。こんなに暖かいのに、SNSでは三角関数の話ばかり飛び交っていて、げんなりします。いつまで言ってんだ。もともとは某議員さんが「三角関数よりも金融教育を」と発言したことから広まったのですが、それが挙句の果てには発言した議員さんのプロフィールを引っ張り出してきて「苦労してないから」などと嘲笑するまでに至っていました。そこまでいくとそれはただの個人攻撃じゃないか。誰が発言した、ではなく、あくまでその発言の内容で議論すべきでしょう。あと、苦労なんてできることならしないほうが良いですし、苦労せずに生きられるのが国(社会)の豊かさなのではないか、とも思うのでした。三角関数が必要かどうかも、そりゃ知らなくても生きていける(人もいる)し、知らなくても生きていけるのも「豊かさ」であるとも言えると思います。私は三角関数も、比較して槍玉に挙げられる古文漢文も勉強してよかったと思いますが…

 

 最近読んだ本の話。今週はノンフィクション2冊の短編集1冊。野村泰紀『なぜ宇宙は存在するのか』、バーチャル美少女ねむ『メタバース進化論』、樋口恭介『眼を開けたまま夢を見る』を読みました。宇宙とメタバースと短編SFという、やりすぎだろって感じのチョイスです。

 

 『なぜ宇宙は存在するか』は、理論物理学を数式を使わずに解説しようと試みた本。コンセプトはわかるけど「ここは数式出してくれたほうがわかりやすいんじゃないか?」と思うところもちょこちょこあって、そこそこ難しかったです。ビッグバン宇宙の話は面白かった。

 『メタバース進化論』は最近流行りのメタバースについて、実際に利用されているサービスの解説と、ユーザーのアンケートをもとに論じた本。以前『スノウ・クラッシュ』を読んでから、「じゃあ今現在利用されているメタバースってどんなもんなんや?」と思って手に取りました。「メタバース」って言葉としては広まっているし、なんだかすごそうな気はするけれども、そこでやってることが結局は現実世界の真似事じゃないか…と思っていたのですが(その意識は今もあまり変わらないけれども)、メタバースという環境があってこそ自由を得られている人は確かにいて、そこでは経済をも生み出している…というのは新たに知れて良かったかな、と思います。でもその経済も結局は現実世界で生きていくための経済なんだよなぁ…とも思いましたが。

 『眼を開けたまま夢を見る』は著者の樋口氏がこれまでnoteなどに書いてきた短編をまとめた本。商業作品としては出ていない作品がまとめらていて、こういうのが手軽にリリースされて、手軽に読むことができるというのは電子書籍の強みだな、と改めて思いました。色んな作品がありましたが、パワプロ好きの小学生が初めて本物の野球をやってみる話(「野球」)と、ただただ地元を歩く話(表題作「眼を開けたまま夢を見る」)、人の目に寄生する虫の話(「字虫」)が面白かったです。

 

おおせのままに…!(日向坂46『ゴーフルと君』MVの感想文)

 つい昨日、5月18日20時に日向坂46の7thシングル『僕なんか』のカップリング曲である三期生楽曲『ゴーフルと君』のMVが公開されました。


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 三期生楽曲はこれまでもTHE アイドル路線って感じのピュアでポップな曲が多かったですが、今回も過去作に負けず劣らずのゲキカワ曲&MVでございました(マジ感謝)。タイトルが『ゴーフルと君』ということですが、「ゴーフル」というのはパリパリの平ぺったい煎餅?みたいなのでクリームを挟んだあのお菓子です。いいとこの子の家でおやつに出てきそうなアレです。旅行のお土産にもらいそうなアレです。それにしても、三期生曲は『この夏をジャムにしよう』といい今回の『ゴーフルと君』といい、甘いものがよく出てくるなぁ…三期生の雰囲気とばっちり合っていますが。

 で、『ゴーフルと君』は、味も食べたときの感覚も覚えているのに「ゴーフル」という名前だけが出てこない、という曲ですが(ざっくりとした説明)、ゴーフルというのがまた絶妙に名前が出てこなさそうなアイテムで良いですね。でも、そんな素朴で誰にでもありそうな体験なんだけれども、それを食べた時に「君」が一緒にいたという思い出だけははっきりと覚えているしそれをふと思い出してしまったという、なんとも甘酸っぱい歌詞が印象的です。なんというか、三期生4人も日向坂46に加入して様々な活動をしているのでしょうけども、将来ふとした物事をきっかけに4人での些細な思い出なんかを回想する機会があってほしいな、なんてことを思ってしまいました(マジでおせっかいおじさん)。三期生4人の雰囲気と素晴らしくマッチしているし、秋元康氏のラジオか何かでも聴きましたけど「誰が歌うのか」ってめちゃくちゃ重要なポイントなんでしょうね。それを改めて感じました。

 さて、MVは日向坂さんの作品では珍しいドラマパートありの仕上がり。MVの監督をされた頃安さんがツイッターで、

 

 

 と書いていましたが、いやマジで天才監督ですやんこんなの。配役といい物語といい。感謝しかないわ。

 MVでは、山口陽世さんがお友達の3人に自分の描いた漫画を見せて盛り上がっていたら、同じクラスの男子に「これくらい上手い人っていっぱいいるよね」と言われてしまい、しょぼんとしてしまうとこが導入部。もう男子って本当にバカ(後にちゃんと謝るシーンもあって微笑ましかった)。

 (いやいっぱいいるか?高校生でこれ上手すぎひん…???) 

 

 で、そんなわけで落ち込んでしまった陽世ちゃんのために、三人が漫画のキャラクタの衣装を手作りしコスプレをして元気づけてあげる、というストーリーです。

 この衣装のサイズあっていないところとか生地が安っぽいところとか、高校生の手作りって感じで素晴らしいな、と思いました。

 あとでもちろん先生に怒られます(全然聞いてないし、森本さんのこの顔めちゃくちゃ良いな…)。

 

 でも怒られた後も着替えることなくそのままの衣装で授業受けるのは、なかなか図太い。というか授業聞いてない(おそらく徹夜で衣装を作っていたのでしょうね…)。このシーン、髙橋さんだけ耐えているのもなんだかご本人っぽくて良いです(上村さんにいたってはもう授業聞く気すらない。素晴らしいです)。

 そんなわけで、三人のおかげで陽世ちゃんは元気を取り戻し、描いた漫画を漫画の新人賞に出す勇気が出た、という物語です。

 送る封筒にお友達がメッセージ書いてあげてんのめちゃくちゃ良いです。

 このシーンの三期生同士の会話、めちゃくちゃアドリブっぽい(本当かどうかはわかりませんが)。 

 

 あと、サビのダンスシーンが素晴らしいです。これまた1期生楽曲『真夜中の懺悔大会』のようにポップで振りコピが楽しそうな曲なのですが、漫画っぽい演出が可愛くて面白いです。ごちゃごちゃとした電子音も聴き心地が良いです。あと3期生、他の曲の衣装もそうですけど、カラフル衣装がめちゃくちゃ似合う。

 そんなわけで、今回も素晴らしいMVでございました。

 あと細かいところですけど、陽世ちゃんの描いていた漫画のタイトルが『∞の恋』ってのもなんかいいな、と感じました。学校生活という必ず終わりが来る限られた時間の中で、そこで培った友情は卒業しても無限に続いてくれることを願っているようで。アイドルも同じで、いつかは卒業するときがやってくるものですけど、そこでたまたまタイミングと運命によって一緒になったお友達とはその友情が無限に続いてくれることを我々ファンも願っているのです。いや、どこまで意図してなのかは知らんけども…(MV深読み全肯定おじさん)

 というわけで、『ゴーフルと君』の感想文でした。

 

ハードボイルドの十分条件

 5月15日。日曜日。朝から曇り空な一日でした。特にこれといった出来事もなかったので最近読んだ本の話だけを。今週はアリーベン・ナイム『エントロピーがわかる』、村田沙耶香『生命式』、レイモンド・チャンドラー『長い別れ』を読みました。

 

 ノンフィクション1冊の小説2冊という順調な(?)ペースです。『エントロピー〜』は積読していた今週のノンフィクション枠。エントロピー、そして熱力学第二法則をサイコロゲームを題材にして解説した本。その着眼点は興味深かったし、あと表紙がブルーバックスなのにオシャレ(失礼)だったので読みましたが、説明が丁寧すぎて冗長だった印象。もっと短くもできそうだけど、何もかもわからない最初の状態からエントロピーの概念を学ぶにはこれぐらいがちょうど良いのかもしれません。ブルーバックスは面白い本も多いのですが、自分の理解度のレベルとマッチしてるかどうかはギャンブルです。

 村田沙耶香『生命式』は、単行本が出たときに「そのうち読まなきゃなー」なんて思っているちに文庫版が出てたパターンのそれ。いやー面白かった。傑作です。人が死ぬとその亡くなった人の肉を食べる文化が広まった社会に生きる人達の話(表題作の「生命式」)とか、人間の臓器の動きだけにエクスタシィを感じる人の話とか、簡単に表現してしまうなら「気持ち悪い」話が12本収録された短編集です。しかしどうして「気持ち悪い」と感じるか、それを追求してくとだんだんと何が正常で異常がわからなくなります。我々の普通のことだとしている「常識」というものが、どれだけ危うくて脆くできているかを痛感させられる、そんな短編集でございました。

 そしてレイモンド・チャンドラー『長い別れ』。私はハヤカワ文庫から出てる村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』を10年ほど前に読みました。それが先月末に田口訳で創元推理文庫から改めて出版されたのですが、「まぁ訳者違うけど読んだことがあるしスルーするかなぁ」と思っていたのでした。しかし創元推理文庫版の表紙にエドワード・ホッパーの『ナイト・ホークス』が使われていて、それがあまりにもカッコよくて(そして作品の雰囲気とも合っている!)、気がついたら手にとっていました。チョロい読者という自覚はあります。でもホッパーの絵やっぱり好きなのよねぇ…読んだ感想としては村上訳で読んだ記憶は遠い昔のことですが、田口訳のほうが好みかも。村上春樹訳は村上作品のイメージがまとわりつきすぎていますし(それが良さだったりもするけれど)。ちなみに他にハヤカワ文庫からは清水俊二訳も出ている(これが歴史的には一番長い)のですが、そちらは未読です。他のチャンドラーの作品も田口訳でこれから創元推理文庫から出るなら、手を出していきたいところです。

 しかしやっぱりハードボイルドは良いですね。歯の浮くようなキザな台詞や言い回しが無性に欲しくなる時が人間にはあるのだと実感させられます。だからといってたくさんハードボイルド作品に触れてきたわけではないのですが、一番好きなのはディヴィッド・ハンドラーのホーギーシリーズです。チャンドラーのフィリップ・マーロウも好きですが、ちょっとタフガイでかっこよすぎる。ハードボイルドには格好悪さが必要のように思うのですよね。矛盾しているかもしれないですが。ハンドラーのホーギーはかっこ悪くてカッコよくて素晴らしいです。愛犬ルルも可愛いですし。

 

 そんな日曜日でございました。

 

世界を分断する餃子

 餃子をよく食べる。餃子は良い。何が良いって、主役にならない所が良いのだ。あんな、ひき肉も野菜も入って香辛料で味付けをして焼いたモノが主役にならないなんて、ちょっと他に考えられない。まるで小学生までは神童と呼ばれていたのに私立の中学に行った途端、授業についていけなくなって落ちこぼれてしまった人間のような哀愁を感じてしまう。それが餃子なのだ。

 そんなわけで餃子が好きでちょくちょく食べるのだが、食べるときはだいたい某チェーン店か冷凍食品の餃子だ。何よりコストパフォーマンスが素晴らしい(店なら一皿二百円ぐらいだし、冷食は12個でそれぐらいの価格だ)。それに餃子は哀愁を増幅させてくれる。疲れた男が仕事帰りにただ食料として流し込むもの、それが餃子の本質なのだ(それにもちろんクソ美味い)。探偵とルーペ、おじいちゃんと犬、働く男と餃子。餃子はハードボイルドにうってつけの料理なのだ。

 だから、「餃子パーティ」というものが世の中に存在すると初めて知ったとき、それは嘘だと思っていたし、未だに疑っている。アイドルの餃子パーティなんて、ありえないだろうが。私のイメージする餃子のある食卓・光景と明らかに分断されているのだ。中華料理店のベトベトの床はどこに消えた。あるいは凍った餃子をフライパンに並べる時のあの手の感覚を忘れてしまったのか(尋常じゃなく冷たい)。そもそも「イチから餃子を作る」という工程がイメージできない。だってチルドにしろ冷凍にしろ、完成したものを買ってきたほうが圧倒的に安いし楽じゃないか(それにクソ美味い)。手作りの何が良いっていうのだ。そんなの嘘で塗り固められた餃子ではないか。

 しかし、「そんなのありえねぇだろ」と疑って批判だけするのは研究者として良い態度といえないことも知っている。嘘餃子だって、もしかしたら、作ってみることで新しい世界が見えてくるかもしれない。だから私は餃子を作ってみることにしたのだ(要するに初めて餃子を作った、という話です)。

 餃子を作るといっても、何も難しいことはない。ニラとキャベツをみじん切りにしてひき肉と混ぜ、味付けをして皮に包んで焼くだけだ。面倒臭さは置いといて、工程はシンプルだ。なめてもらっちゃ困るぜ。

 

 餃子の種を作るまでは余裕で(混ぜるだけだ)、あとは皮に包んでいくだけだ。おそらくそれが餃子を作る工程のうちメインイベントに当たるのだろう。しかしやっぱりどう考えても面倒くさい。冷凍餃子だったらもうすでに焼き上がって、Youtubeでも見ながら阿呆面で食べている頃合いだろう。しかも皮は30枚近くあり、チマチマと何をさせられているんだ、という気持ちになる。

 そんなわけでブーブーと文句を言いながら包み始めていったわけなのだが、いつの間にか熱中していた。自分でも驚きだ。なんだろうあの感覚は。スプーンで種を掬い、広げた皮の中央にのせ、ひだを作りながら包む。ただそれだけの過程なのに、尋常じゃない集中力を発揮していた。

 種を包んでいる自分と、包まれる種とは皮一枚で分断されているはずなのに、包む作業を進めているうちにその輪郭はぼやけ曖昧になっていく感覚があった。隔たりは加速度的に失われいき、すべてが均一化され融けていく。種を包んでいる主体であったはずの私はすでにそこにはなく、個性も時間も空間も、すべてがひとつの宇宙に吸収される。餃子の皮はアンコントールに拡大し続け、すべてを飲み込んでいく。それが宇宙の意思であるかのように。もう見分けはつかず、自己の内なる世界は反転していく。あるいは宇宙の始まりというものがあったとしたら、こういう状態だったのかもしれない。有も無も、すべてがドロドロに融けた状態のスープから始まり、やがて何かと何かを区別する隔たりができることによって、生命が存在し始めたのかもしれない。生物が生物であることの定義の一つは細胞でできていることであり、細胞とは世界を内と外で分ける膜があることだ。膜を持つことで、生物は生物として生きていくことを選んだのだ。融合という道から外れ、膜を作り孤独で生きていくことを選択した存在の成れの果てが我々の祖先だったのだ。そうか、餃子も同じことじゃないか。餃子の皮は我々の祖先の選んだ一つの武器だったのかもしれない。だからこそ、餃子という食べ物は孤独によく合うのだ。

 …ということを考えているうちにハッとして我に返った(包む餃子の皮がなくなったから)。なんだか危ないところだった。どうも餃子を作る作業にはトリップする効果があるのかもしれない。そうか、この感覚を味わうために人間はわざわざ手作りで餃子を作るんだろうし、餃子パーティなるものが存在しているんだろう。なるほど嘘じゃなかったな。面倒なのにわざわざ餃子を手作りする意味がわかった気がした。きっと、餃子パーティをする女子大生もアイドルも、あるいは夕ご飯の餃子を一緒に作る仲睦まじい親子も、その瞬間トリップしているのだろう。だからみんなそれを求めて餃子を作るのだ。

 

 わざわざ餃子を手作りする行為の答えを得て満足したし餃子もちゃんと包み終わった。あとは蒸し焼きにすれば完成だ。包み終わった餃子をフライパンに並べ、軽く熱した後、熱湯を加えて蒸し焼きにする。ある程度時間が経ったところで蓋を開ければ、キレイに焼けた餃子が、

 

 うわ気持ち悪っ。全部くっついてるし、なんだか小動物の脳みそみたいだ…(味は普通だった。可もなく不可もなし)

 

ひげを剃る。そして机を拾う。

 5月11日。水曜日。朝から曇り空が広がっていたものの、ほどよく暖かく過ごしやすかった一日でした。すっかり連休の雰囲気も消えてなくなり、いつもと変わらぬ日々を送っています。今日は(今日も)朝から研究室へ行き一日中文章を書き続けていました。パソコンカタカタ楽しいナ。

 さてここ一ヶ月ほど、学部棟のたくさんの研究室で引っ越し作業が続いています(建物の耐震工事のため)。それに伴ってなのか、屋外の粗大ごみ置き場には要らなくなったであろうデスクやらキャビネットが山程積まれています。そこには壊れたり使えなくなったモノ以外にも、引っ越し先の学生部屋や実験室のスペースの都合で廃棄されたモノが沢山積まれているのです。そして、うちのような貧乏研究室にしてみたら目ぼしいものも捨てられているわけで、昨日は台車を転がして作業机とちょうどよいサイズのカラーボックス、傘立て等を頂戴してきました。ラッキィでした。下手したら横領とか窃盗になりそうですが、ちゃんと了承を得ているので問題ありません(こういうこともイチイチ書いておかないとなんだか怖い)。おそらくSDGsってこういうことなんでしょう(多分違う)。

 SDGsといえば、目標が多岐にわたりすぎて、もはやよくわからなくなっていますね。それぞれの目標同士で内容が矛盾してしまってないか?とすら思ってしまいます。もっと絞った方が良さそうな気もするのですが、ふんわりと何かをやった気(取り組んだ気)にしてくれるには、ちょうど良いのかもしれません。企業側も目標が多ければ多いほど、「うち当てはまるわ。SDGsに取り組んでるわ」って感じになるのでしょう。どれぐらい効果があるかは二の次で。

 

 最近読んだ本の話。先月末に買って少しずつ読んでいたSFマガジン6月号をようやく読み終わりました。

 今回はアジアSF特集。ここ数年は『三体』を筆頭にアジア(というか中華)のSF作品が盛り上がっています。そういうブームもあってのアジアSF特集なんでしょうかね(そういえば2019年には中国SF特集もありました)。私はアジアでは中国以外の作品や作家さんを詳しくは知らなかったのですが、今回の号には韓国やフィリピンの作家の短編作品も掲載されていて、どれも楽しめました。

 並べてみるとそれぞれの作品でお国柄?が出ていて面白かったのですが(韓国SFはラブ・ロマンス、フィリピンは麻薬戦争で亡くなった子供の話)、「それってステレオタイプな国のイメージに合った作品を選んでない?」という気もほんの少しだけしました。また、アジアSF特集なのですが、一番好みだったのはティモンズ・イザイアス『さあ行け、直せ』でした。簡単に説明すると、パンダ型の枕が飛行機事故から乗客員を助けていく話です。なんだそれ。あと、日本人作家の読み切り作品(斜線堂有紀『骨刻』と大滝瓶太『天使のためのニンジャ式恋愛工学』)も面白かったです。『天使の〜』はフザけたタイトル(失礼)なんですが、中身はブラック企業で働かせられている天使の話です。なんだそれ。

 そういう一日でした。

 

「ね・む・ら・せ・な・い・よ」(日向坂46『真夜中の懺悔大会』MVの感想文)

 つい先程、5月10日の20時に日向坂46さんの7thシングル『僕なんか』のカップリング曲で一期生楽曲である『真夜中の懺悔大会』のMVがアップされました。

 


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 これね、めちゃくちゃ良いのですね(MVがアップされる度にそればっかり言ってます)。私はこれまでの一期生曲、どれも好きなのですが(特に5thシングルのカップリング曲でめいちゃんセンターの『どうする?どうする?どうする?』)、今回も素晴らしい曲&MVになっています。なにより、センターは初のなっちょさん(潮紗理菜さん)…! これだけでも「ついに〜〜〜!」って感じなんですけど、さらにフロントにまなふぃ(高瀬愛奈さん)と影ちゃん(影山優佳さん)がいるという、これまでになかった(そして待望だった)組み合わせで、喜ばしいかぎりです。

 センターのサリマカシーこと潮紗理菜さんといえば、日向坂46では聖母でありメンバーのメンタルサポータとしても知られているわけなのですが(まさに毛筆で「慈愛」って太字で書いたような人)、誰にも無償の愛を注げる人がついにその努力が報われる日が来た…!って感じで本当に嬉しいです。

 さて、『真夜中の懺悔大会』。ポップで振りコピがめちゃ楽しそうなサビと、タイトルにもあるように友達同士で秘密を言い合いそれを共有することでより友情が深まっていく感じが一期生の雰囲気にマッチしていて、とても良いです。「懺悔」というのは自分の罪を告白して悔い改める行為ですけど、この曲ではその吐き出す罪の内容はどうでもよくて、それを共有し共犯関係になることで仲間同士の結びつきを強めていくその光景が尊いのです。それにしても「聖母」である潮さんがセンターで「懺悔」の曲というのが絶妙ですね。誰にでも寄り添うことのできる人だって当然悩みを抱えているわけで、それを告白できる一期生の強固に結びついた友情は信仰の対象にすらなり得るんだな、と思わずにいられません(MV深読み全肯定おじさん)。

 MVにはメンバー同士でパーティを開くシーンがあるわけですが、その構図はまさに『最後の晩餐』のオマージュじゃないですか。

 …と映像を観ながら一瞬思ったのですが、でもそうなると「じゃあ裏切り者は…?」みたいなきな臭い話になってしまうので違いますね。なしなーし。やめやめ。私の勘違いです。うそうそ。

 さて、MVの映像も自体も面白いです。カラフルなドレスに身を包んだメンバーがパーティを開いたり踊ったり枕投げをしたりと平和なシーンが続くと思ったら、フロントの3人が気球に乗って、他のメンバーがそれを送り出すシーンがあったり、そしてその景色は眼科にいったことがある人なら必ず観たことのあるあの景色と結びついていたりと、面白いストーリィになっています。文字通りなんだその着眼点は(上手いこと言いました)。

 

 坂道グループのMVに出てくる枕、ボロボロにされがち。

 どうでもいいことですが、気球を見送るには天候が不穏すぎる。

 気球の行く先は…

 眼科の検診で見るあのお馴染みの景色だったのでした。

 そうなってくると、ドレスの印象的な赤と青の色合いも、もしかして立体視の赤青メガネ(懐かしい!)をモチーフにしていたりするのかな、なんて思ったのでした。潮さんの好きな数字「8」も傾けたらメガネの形になりますしね(これは無理がある考察)。

 というわけで、今回の一期生曲も素敵でした。発売が待ち遠しいです。

 

 なにより、潮さんの笑顔が本当に素晴らしい。マジ、サリマカシー。

 

ドレミアロー・積読消化・ゴミ屋敷

 5月7日。土曜日。いつの間にやらゴールデンウィークも終わっていました。今年もほとんどそれらしいことはしておりませんし、唯一の遠出は墓参りと歯医者の定期検診のために実家に戻ったぐらいです。実家に戻るといっても一ヶ月に1回の頻度で戻っているので、それすらもゴールデンウィークらしさはありません。すべてが例年通りです。あはは。

 昨日、5月6日の金曜日に日向坂46メンバーのTHE FIRST TAKEの動画がアップされて、それがめちゃくちゃ良いのです。前回はセサミストリートのキャラクタとセッションで『上を向いて歩こう』でしたが、今回は持ち歌の2ndシングル『ドレミソラシド』。


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 いや素晴らしすぎるだろこれ…『ドレミソラシド』のアレンジといえば、数年前(2019年だっけ?)のレコード大賞での生演奏アレンジがとんでもなく良くて度肝を抜かれたのですが、それを思わせるぐらいこちらのアレンジも良いのです。ストリングスが『ドレミソラシド』にめちゃくちゃ合うのよね… 歌上手メンバーを集めてのTHE FIRST TAKEですが、ハモリの聴き心地の良さが素晴らしいです。あと、四人それぞれが歌いながらお互いにアイコンタクトを送り合っている姿がなんだかグッときたのでした。前回の『上を向いて歩こう』もそうですが、音楽ってそういうことだし、日向坂ってそういうグループなんだよなぁ!と、膝を叩いた昨夜でした。ぱーお!

 

ーーー

 連休中に唯一やったことですが、溜まりに溜まった積読本をほんの少しだけ消化しました。

 

 小川哲『ゲームの王国(上・下)』、山田正紀『神狩り』、中島明日香『サイバー攻撃』を読みました。SF3冊のブルーバックス1冊。連休の割にはスロウペースです。『ゲームの王国』は第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎を受賞した作品で、文庫版が出てから買い今の今まで積んでいました。上・下と分かれていると読み始めるまでに時間がかかるんですよね(気合を入れる必要があるから)。しかし「なんでもっと早く読まなかったんだ…」と後悔するぐらい、めちゃくちゃ面白かったです。こんな面白いってなんで誰も言ってくれなかったんや… さて、内容はあまりSFっぽくなかったですし(そうなってくると「じゃあSFってなんなんだ?」って話になってきますが…)、カンボジアが舞台のストーリィで恐怖政治とか強制労働とか秘密警察とか虐殺とか、重たい話が矢継ぎ早にバンバンでてきます(特に上巻)。奇しくも今の一部の国の状況を連想せざるを得なくなってしまっているのがSFの凄みでもあったりするのかな…なんて思ったのでした。あと、読んでいて『動物農場』と『虐殺器官』を思い出しました。だいたいそんな感じです(おそらく違うし作品を別の作品で例えるの良くない)。

 山田正紀『神狩り』は1974年に書かれた著者のデビュー作。これもずっと積んでました(1年くらい)。私はこれまで著者の作品をほとんど読んだことなかったのですが(唯一『戦争獣戦争』だけ読みました。少し前に文庫が出たから)、そこそこ楽しめました。古代文字が発掘されて、でもそれは人間が使う言語じゃなくて神の言語の可能性が出てきて、そこから神をぶっ飛ばしてやろうって話になって…というめちゃくちゃ面白そうなストーリィなんですけど、「あれあれ?そこで終わっちゃうの???」という感じの終わり方だったのがもったいない感じがしました。最近、山田正紀氏の作品が次々と文庫で出ているので、他の作品も読みましようかね…

 『サイバー攻撃』が今週のノンフィクション枠。おそらく「サイバー攻撃」の基礎の基礎の話だったのでしょうけれども、わりとギリギリでした。こういうコードがオーバーフロウを起こしてしまうとか、具体的な話が多かったです。プログラミングをほとんどやってこなかったから理解力が追いついてないんでしょうね。ぜんぶ自分のせい。

 

 そんな連休の読書事情でした。引き続き積読本を減らすために今も何冊かを並行して読んでいるのですが、それでもなかなか減っていきません。本を買ってくるスピードが読むスピードを上回っているからこういう目に合っているのでしょう。すでに本棚は足りておらず、本が横置きで部屋のそこらへんに積んである状況です。そもそも本棚を置くためには壁がいるわけですが、一部屋につき最大4面しか壁がないのが悪いのだと思います。なんで壁って4面しかないんでしょうね。マジで物理学の限界。

 おそらく今後も本の数はどんどんと増えていくことでしょう。積読本が新たな積読本を呼ぶことで本の数は指数関数的に増え、やがて部屋そのものを埋め尽くすことになり、部屋に入ることすらできなくなります。大家さんはブチギレられた私は強制退去させられ、大量の本とともに実家に戻ることになるのです。しかしきっとそこでも積読本は増加の一途をたどり、いつの間にか近所でも有名なゴミ屋敷になっていることでしょう。そして役所の人が何度も家を訪ねてくるのです。

役人「もういい加減捨てましょうよ。近所の人みんな困っているんですよ、放火の原因にもなりかねませんし…」

私「全部必要なんだよ!お前らにそんな権限ないだろう!こっちは税金払ってんだ自分の家に自分のもの置いて何が悪いってんだよ!!!」

そのVTRを見つめる夕方ニュース番組のアナウンサ「困ったものですね…(神妙な表情)」

心無いネット上の言葉「家まるごと燃やせよwwww引きこもり陰キャ死ねwwww」

 

 …そういう未来まで想像し、悲しくなった土曜日の夜です(書いている途中で飽きた)。