後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

アメーバ

 クソみたいに暑かった夏もあっという間に過ぎ去り、いつの間にか穏やかな気候になっていました。季節はすっかり秋でございます。秋はいいですね。何もかもちょうどよいです。気温も、雰囲気も、食べ物の腐らなさ加減も。素晴らしい季節の到来です。ずっと秋口でいいのに。

 先週はラジオがスペシャルウィークだったということで、いつにもまして聴き漁っていました。何度も書いているかもしれませんが、私が毎週欠かさず堪能している唯一のメディアコンテンツなのかもしれません。radikoの普及のおかげで住んでいる地域では聴けなかった番組も余裕で、MBSFM FUJITOKYO FMもばっちこいです。一昔前、私が中学生だった頃はradikoプレミアムなんてものはなかったので、TBSラジオが聴けず「なんじゃい!」と絶望していました(だから聴くことの可能だったニッポン放送ばかり聴いていた)。それが、こんなに素晴らしい未来になるなんて、その頃の少年の私に伝えてあげたいものです。

 さてスペシャルウィーク星野源さんのオールナイトニッポンの話。星野源さんのラジオは正直なところ、これまで聴いたことがなかったのですが(おそらくタイミングの問題)、ゲストがオードリーの若林さんだったということで、恥ずかしながら初めて聴きました。もうね、めちゃくちゃ良かった。お互い、異なる畑で活躍している二人が、仕事をしていく中で、負っていった傷や、思い、苦労、そういったものが共鳴していく様子が凄まじかったです。先日の『あちこちオードリー』の星野さんゲスト回も超良い回だったけど。そして番組最後に披露された『Pop Virus』の弾き語り&ラップのセッション。もうね、言葉にできなかったです。いやはや、すごい回だった。

 その若林さんと星野さんのトークの中で印象的だった、アメーバの話について。星野さんが話されていましたが、色んな仕事や締切やその他様々なものに追い込まれて追い込まれて無我夢中の域まで達すると、ライブで演奏するときに自分とお客さんや自分以外の世界との境界線が消え去って、すべてが溶け、アメーバになってしまう感覚になることがあるという。これ、めちゃくちゃすごい話だな、と聴いていて感じました。それは、いわゆる「ゾーンに入る」という瞬間なのでしょう。

 また、同じくオールナイトニッポンの話ですが、土曜日の「オードリーのオールナイトニッポン」でゲストとして出演された石川佳純さん(しかし改めて考えてもすげぇゲスト回だ…)が、自分ではコントロールできないけれど、「今日はいけるな、勝てるな」と確信する日がごくまれにやって来る、という話をされていました。それを石川さんは「空から降りてくる」と表現されていましたが、これも言い方は違えどおそらく「ゾーンに入っている」状態なのでしょう。

 そういった、ゾーンに入っている状態というのは、自分で制御できるものでもなくて、ある日ある時ある瞬間に突然やってくるものです。そして、それはその対象のものに対して(石川さんであれば卓球だし星野さんなら創作活動だったりライブだったりするのでしょう)、長年これでもかってぐらい向き合って、さんざん悩んで苦労して、苦しみに苦しんで、それでやっとのことで迎えられる境地なのでしょう。その境地に立つことができてようやく無我、すなわち自分自身を忘れる、あるいは自分をひっくるめた世界の境界線を置き去りにできるのだと思います。そんなことをラジオを聴いていて感じました。

 自分のことで振り返ってみると、そんな「ゾーンに入った」瞬間というのは2回ほどあります。一つは高校生の頃。私は部活で体操をやっていたのですが、その高校3年の最後の大会の時です。最後の試合だというのに、競技前の練習の時間で床で足をひどく捻りました。歩くのもやっとぐらいのビリビリとした痛みを感じながら、でも最後の試合だからということで棄権はせず、テーピングで足をぐるぐる巻きにして大会に出ました。「やっちまったわ最悪だ…」と凹んでいたのですが、演技をしてみるとなぜだか足を怪我していたのにも関わらず、跳馬も床も着地がポンポンと決まりました。試合前の緊張感と直前の怪我のせいで脳内にアドレナリンやドーパミンが出まくっていたのかもしれませんが、振り返るとおそらくあの状態が「ゾーンに入っていた」ということなんでしょう。

 そしてもう一つは大学で研究に没頭していた時の話です。とある物質の定量分析をずっとしていたのですが、どうしてもその出力される結果のグラフに納得がいかない。でも何度やっても同じ結果となっていまう。その理由がわからずウンウンと数週間、昼も夜も悩みまくっていたのですが、ある時「あぁなんだこういうことか」と突如アイデアが浮かんでくることがありました。散々あれほど「意味わかんねぇ」と唸り続けていたのに、ふとしたことで解決してしまう。このアイデアが浮かんできた瞬間も、おそらく「ゾーンに入っていた」のでしょう。

 もしくは、「ゾーンに入った瞬間」というのは、神様からのご褒美のようなものかもしれません。私自身、神の存在を積極的に信じているわけではありませんが、体操部の頃のそれも、浮かんでくるアイデアも、その対象に対して散々向き合い、ゲロも吐きそうなぐらい悩み抜いた、そのご褒美のようなものだったのかと思います。そう捉えていたものを、星野さんはラジオで「アメーバとなる」と表現されていました。その時の自分も、きっとアメーバになれていたことでしょう。

 そういった、アメーバになれる、自分のことも世界のこともすべて忘れて無我となれる瞬間があるからこそ、人間はなにかに没頭できるのかもしれないな、と思ったスペシャルウィークラジオでした。あとラジオ聴いてすぐアルバム『Pop Virus』を買いました。ミーハー人間でございます。