後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

オールナイトニッポンのサブスク化についてちょっとだけ思うこと

 6月20日。月曜日。激烈に暑かった一日。日中は30℃を余裕で超えていました。完全に夏じゃねぇか馬鹿か。そんなクソ暑い日だったのにも関わらず、日中市内を移動しっぱなしのヘトヘトな一日でございました。体力が持たん。夕方に研究室に戻ってからは論文を少しだけ進めたり講義用の資料を作ったりで、あっという間に夜でした。夜になっても全然涼しくならないのなぁ…

 

 今朝方、ニッポン放送オールナイトニッポンがサブスクサービスを始める、というニュースが流れてきました。

 

 

 「過去の人気番組がアーカイブで聴ける!」というドでかい見出しと共にアーカイブとして聴ける人気番組のラインナップを眺めながら、「いや、人気がそんなにだったから早々に終わった番組もいくつか並んどるやんけ!」などと意地の悪いことほんのり思ったりもしました(でもその番組を確かに聴いていて愛していた人がいただろうことは全く否定しませんが)。また逆に「なんでそのラインナップにあの番組入ってないねん!」とも思ったり。アルピーANNとかね。

 そして、リスナーも多い(多かった)オードリーANNやくりぃむしちゅーANNのアーカイブがサブスクで聴けるのは、きっとニッポン放送にとっても目玉であって、純粋に「良いなぁ」とも思いました。特にオードリーANN。古参アピールするわけではないのですが、比較的初期から聴いていました。なので、若林さんの家が「ラップ音」がするという話から自宅から放送した回(ソーセージアタックの回)とか、スペシャルウィーク史上最低の聴取率を叩き出したという噂の箱根コナキンズの回(吉留明宏ことビックスモールンのゴンちゃんが即興の歌で「ナチョス」が出てこなかった回)とか、ラジオなのに女子大生呼んでおそろいのジャンパーを作った回とか、初期の初期だけやっていて爆速で無くなったコーナー(アメフトの小部屋)とか、ツチヤタカユキ氏とのドラマティックな一連の流れとか、吉田尚記アナとの抗争とか、一宮でライブがあってその後名古屋CBCラジオから生放送することになったのに冒頭で放送が流れなかったガッツリ放送事故の回とか、大好きな回がいっぱいあるわけです(結局ド痛い古参ファンのアピールみたいになってら)。

 だけど、じゃあアーカイブのサブスクも嬉しいかというと、私としては微妙なところでもあったりします。そりゃ、オールナイトニッポンに限らず放送終了後すぐに番組がYoutube等に違法アップロードされて、しかもそれが何万回、何十万回と再生されている状況は、放送局にとっては看過できない状況であり、また金脈にもなりうるところなのでしょう(勝手に想像しているだけですが)。だから、それをまるまる放送局側が配信してしまうというのは、時代にも合った取り組みだと思います。テレビ局ではやってる手法ですしね。

 ですが、面白かった回も逆にそんなに面白くなかった回も、全部ひっくるめて二度と聴けない「儚さ」を性質に持っているのもラジオの良さであると私は思うのです。「寝落ちした夜を取り戻せ」は素敵なキャッチコピーですが、寝落ちしてしまった夜も私にとっては良い思い出だったりするのです。面白すぎて寝れなかった夜も、あんまりだったなぁという夜も、日常でクソみたいなことがあったけどラジオによって笑えた夜も、すべてがそのまま自分の生活に紐付いた良い夜だったと思うのです。なので、それが今になってすべて再生可能なコンテンツとして均一化されてしまうのは、嬉しい反面ちょっとだけ寂しくもあります。もちろんこれは私が思う美学であって、他人に強制するつもりはありませんが。

 あと、その当時のパーソナリティの年齢とか社会の価値観とか、あるいはパーソナリティとリスナーの規模だったりその時の関係性だから許されていたものが、今も同じく通じるのか、という不安も少しだけあります。例えばオードリーANNも、初期の頃にはリスナーに電話かけていて(今だったらリスナーと電話なんてまぁないでしょう)、そして女子リスナーだったらどんなパンツ履いてんのか聞いていました。あれも今だったら許されるかは微妙なところで、愛のない書き起こしサイトによって書き起こされ、なんでもかんでも問題提起したいマン(問題提起したいウーマン)に見つかっていたら、炎上しうる可能性だって持っているのです。パンツ云々の例は大したことないですが(私がそう思っているだけでそうでない可能性もあるけど)、それが番組を愛する(愛してきた)リスナーにとっては一番見たくない姿です。まぁ、わざわざ課金してまでオールナイトニッポンアーカイブを聴くような人にはそういう人はいないと思いますが…(そう願っています)。

 あと、オールナイトニッポンに限らず、芸人さんのラジオでもちょくちょく苦言を呈されている、「番組でそのタイミングだからこそ盛り上がったやりとりや印象的なワードを、こちら側(パーソナリティ側)がもう味がしなくなってやめてんのに、いつまでも擦り続けるな(ラジオ以外でも言ってくるな)」というのも、あれもYoutubeの違法アップロードが原因にあるのではないかと思うのです。あの夜にとどめておいて、その時のリスナーとパーソナリティとの共犯関係だったから良かったものが、オープンな場でいつでも再生可能なコンテンツとなってしまったからこそ生まれた問題だと思うのです。長く番組が続いていればパーソナリティも年齢が上がって価値観だって変容していくものだけど、それが時代を超えてリスナーとの関係性も超えて同一視されてしまう危険性を孕んでいるのではないか、とちょっとだけ心配してしまうのでした。

 サブスクの利便性とともに、そんなことを思いました。

 まぁ、うだうだ言いつつも結局課金している可能性は大いにあるけど…