後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

メタセコイア

 12月17日。金曜日。朝からド寒い一日。風もそこそこ強かったので、朝駐車場に止めた車が、夜には抜け落ちたメタセコイアの葉っぱまみれになっていました。メタセコイアは紅葉時の見た目は良いけど、葉が落ちる秋〜冬にかけては細かい葉が抜け落ちるので地面が葉っぱまみれになります。この時期になると、清掃員の人がブロアで飛ばしては落ちた葉をかき集めている光景をよく見ます。

 さて、17日。午前中に学部生の発表練習。私が学部生の頃は、一つ一つの発表の機会がド緊張の連続で、発表後もその出来に落ち込んだりしていました。しかし今となっては全く緊張しないものも増えてきました(特に内部の発表会のようなイージーなものは)。これは、自身が発表に対して慣れてきたというより、発表の場に対する感度が落ちてきたからなのでしょう。未だに緊張するものもありますが…

 学部生の発表練習を終え、定期試験の再試験を作ったり実験データをまとめているうちに夜に。やたらめったら寒かったので早めに帰りました。帰りに本屋に寄って数冊買いましたとさ。まだ読むべき本が残っているのに新しい本を買ってしまいます。読む本がないという状況が嫌なのでしょう。一種の中毒症状かもしれません。

 

 飛浩隆氏『SFにさよならをいう方法』を読みました。この本はSF作家の飛浩隆氏の、小説作品以外のもの(書評や寄稿文)をまとめたものです。飛浩隆氏の作品は『グラン・ヴァカンス』『自生の夢』『ポリフォニック・イリュージョン』、あと『零號琴』の上巻だけを読んだことがあります(下巻はまだねかせている)。飛浩隆氏の作品は、うまく言えないけれど、どれもグロテスクでエロティックな(直接的な意味ではなく)印象があります。この本『SFに〜』はSF作品以外がまとめられているのに、その雰囲気を感じました。あんまり書評っぽくないというか。不思議だなーと思っていたのですが、東浩紀氏の解説で合点がいきました。書評をする際の、作品を外部からみるか内部を撫でまわすように見るか。その距離感の違いによるものなのでしょう。

 

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