後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

スポイル

 先日、MNPのことについて調べていた。私は携帯電話とスマホの2台持ちなのだが、携帯電話の方が3G回線のモノのため、来年3月で使えなくなる。なので、いい加減「どうしたもんかいのー」としぶしぶ機種変更について調べていたのだ(面倒くさいからずっと後回しにしていた)。

 すると、調べたその時から最新機種の広告がガンガン表示されるようになった。仕方ないことかもしれないが、うんざりする。今の今まで、3G回線が使えなくなるギリギリまで携帯電話を使っていたヤツが最新型のスマートフォンを欲しがっているわけなかろうに。でかい画面も最新のプロセッサも高画質カメラも不要もいらんいらんいらん。

 これはスマホに限ったことではない。ちょっと家の税金のことを少し調べようとしたら家の広告が現れ、車のニュースをクリックすれば車の広告が現れ、健康保険についてふと調べれてみば保険会社の広告であふれかえる。インターネットの発展は生活を豊かに便利してくれたけど、その利便性の中には大衆の購買欲を煽るシステムが強固に組み込まれていることを実感する。

 「大量消費社会」と呼ばれるようになって久しいし、その裏返しで「ミニマリスト」なんて呼ばれる生活スタイルも一瞬だけ流行った。では、「ミニマリスト」が本当に広告の蔓延る社会からバイバイしているかというと、そんなことはなく、ミニマリストのハウツー本は本屋に並べられているし、ミニマリストたちはYoutubeで広告収入を稼ごうと躍起になっている。ミニマリスト自体に商品価値を持たせるシステムが新たに生まれただけだと思う。結局は同じことで、経済主義はどこにも入り込んでくるし、私達はぶんどられ続けるしかねぇのか、と思うと「なんだかなぁ…」という気持ちになる(その社会を批判したいわけではないし、そんなことはもうすでに様々な人たちがやっているでしょう)。

 私は高校生大学生の頃、まとめブログにハマっていた時期がある。毎日何時間もまとめブログを巡っては、政治とか、社会で起こった事件とか、芸能人の誰々の問題発言やキャンダルを眺めていた。当時はそれで自分が社会に関心があって、情報強者だと思い込んでいたし、そしてその事件に対する批判コメントを読むことでなんとなく溜飲を下げていた(つもりになっていた)。しかし、今となっては、本当は自分がそのニュースに関心があったわけではないことも理解できる。単に、炎上しそうなもの・大衆が怒りのベクトルを向けやすいものが選択されて、掲示板のコメントもそういうものだけが抽出されて、記事としてアップされているにすぎない。自身の生活と全く関係のないものだとしても、興味がある(特に、怒っている)気にさせる、そういったデザインがされているのだろう。そこでは個人の感情まで制御されている。これは、まとめブログだけじゃなくてテレビのワイドショーも同じ様式だろう。そして、まとめブログではたまにガス抜きのように「マスコミ批判」の記事がアップされる。けれども、アップする側は本当にマスコミを批判しているわけではなく、そういう記事を上げればアクセスが集まるということを知っているだけで、両者でやっていることに大差はない。

 そして、私達がワイドショーを見たりまとめブログを読んで怒っている(気にさせられている)代償としてスポイルされているものがあるとしたら、それは「時間」なんだろう。直接金銭を払っているわけではないから気づきにくいけど、着々とそして確実に時間は奪われていく。私達の有限な時間を搾取し、金に変換するシステムはとてつもなく頑丈で、狡猾で、あたかも味方か代弁者のようなフリをしながら近寄ってくる。

 だけれども、情報をシャットアウトして生きていくことはできない。大量の広告や、興味のないニュースや、なんとか時間を奪ってこようとする諸々の敵にまみれた現実を生きていくしかないことはわかっている。大事なのは、搾取されないことではなく(それはとうてい無理な話なわけで)、それを「自覚」することなんだろう。無自覚に搾取されないこと。それが、唯一できる抵抗なのだと思うのだ。