後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

食べログと私

 家の近所にたまに行くラーメン屋がある。だいたい月に一回ぐらいのペースで通っている。そこのラーメン屋は15年ほど前にできて、そこからちょこちょこ食べにいっているのだ。鶏ガラベースの醤油ラーメンで、白菜やら豚バラやらニラがこんもりと乗っている。天理ラーメンというジャンルらしいことを知ったのはしばらく経ってからだった。

 その店は田舎では珍しく深夜12時まで開いてるので、だいたいそれくらいの時間帯に通っていて、いつもそのラーメンとチャーハンのセットを食べていた。毎回そこのラーメンを美味い美味いとアホ面こきながら食べているのだが、自分の舌も阿呆なことは百も承知なので、「きっとどこもこんなもんなんだろう」とも思っていた(好き嫌いも特になく、何を食べてもそこそこの満足感を得ているのでコスパが良いことこの上ない)。いつも行くのは深夜で客入りも少なかったので、「潰れなきゃいいなー」ぐらいにしか思っていなかった。

 しかしここ最近になって、ふと思いその店のことを調べたことがある。何を思うでもなく、全くの思いつきで。するとどうだろう、食べログの評価は3.48なのだ。食べログをチェックすることなんてほとんどないのだが、この数字がなかなか高いというのは知っている。ふふん。自分の舌は間違ってなかったと、なんだか誇らしい気持ちになった。

 …と、感じたのはその一瞬だけで、今となっては食べログなんて見なければ良かったと心底思うのだ。はっきり言って後悔している。食べログの評価を見る前までは、「なんとなくそのラーメンの味が自分にあっているから通っている」という感覚だったのだが、食べログを見てしまってからは「食べログの評価が良いから自分はこの店に通っているのでは?」という疑念が生まれてしまったのだ。この疑念はなかなか捨てられず、それからは店に行く度に自分の問いかけてしまうのだ。もはやラーメンを食っているのではなく、数字を食っているのだ。ラーメンとチャーハンのセットではなく、数字と数字のセットを頼み、そこにセルフサービスの自家製醤油にんにくではなく自家製数字をかけて食っているのだ。数字によく絡む自家製数字は風味良く食欲を増進させ、数字スープの旨味を引き立てる。数字の箸休めにセットの数字をかっ込むことでますます数字を欲する、最高のサイクルが完成するのだ。

 数字の評価にいかに人間が左右されているかを身を持って味わってしまったが、もう食べログを見る以前には戻れない。せっかく美味いラーメンを提供してくれたその店に申し訳なさを感じながら、店を後にするのだった…