後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

節分に関する諸問題

 2月2日。ほんのりと寒かった火曜日。ここ最近になって車のエンジン警告灯が点灯するようになり、「やべーな」と思って近所のメンテナンス屋さんに持っていきランプを消してもらったにも関わらず、その翌日(今日)にはまた警告灯が点灯していて激萎えな朝から始まりました。どうやら、なんちゃらセンサが悪くなっている可能性があるとのこと。やべーな。なんだかんだ15万キロ走っているのでおそらくもう寿命なんでしょう(でもあと5万キロは行きたいところ)。

 どうやら今日は節分だったようです。もはや節分の日すら2日なのか3日なのかうろ覚えとなっているくらい季節の行事に疎くなっているのですが、そもそも節分ってなんなのでしょうね。恵方巻なんて私が子供の頃にはなかったのですが、あっという間に毎年恒例みたくなっております。太巻き業界(というものがあるのかは知りませんが)の陰謀だなんて散々言われていますが、私は太巻きも食べないので、その影響は限りなくゼロです。そもそも、太巻きって値段と味が釣り合っていないような気がします。シンプルに高ぇです。

 そして、節分の豆まきも謎の行事だと子供の頃から私は訝しんでいました。なんてたって豆ですよ。なぜ鬼が豆なんてちっちゃいツブツブに負けるのかずっと不思議でした。ドラキュラに対するニンニク的なことなんでしょうか。でも、日本の妖怪には小豆洗いとか豆腐小僧とか豆に馴染みありそうなのが多い気もしますし…(というか、鬼ってそもそも妖怪?)。

 別に鬼が豆を嫌っているというわけでなく、単純に「攻撃」ということだったとしても、やっぱり豆程度では敵わない気がします。なんてたって豆ですから。もしかしたら昔はもっとちゃんとした作法・形式があって、それが簡略化されて現代の「豆まき」になったという可能性もあるかもしれませんが。本来は豆ではなく、鬼を払うために矢を射る行事で、その特別な矢を作るのにマメ科植物の茎が使われていたことから転じて豆まきという形式になったとかなら、多少説得力も増します(適当に嘘こいてます)。

 あと、散らばった豆を後で拾って年の数だけ食べるってのもちょっと汚い感じがします。これだけ衛生が叫ばれている時代(今の御時世にはなおのこと)に合っていないのではないでしょうか。せめて、投げる豆が大豆じゃなくて枝豆なら多少はマシになると思います(あと散弾銃っぽくもなる)。撒いた枝豆も拾った後、オリーブオイルとニンニク、唐辛子といっしょにさっと炒めてパスタと合えることで美味しい枝豆ペペロンチーノにすることもできます。ほんと、枝豆って素晴らしいな。そんなことを思った今日一日でした。