後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

非非日常

 クリスマスというイベントに縁のない家だった。サンタクロースの話とか、どうやら子供はプレゼントをもらえる、というのはおとぎ話のひとつか、あるいは外国の話だと思っていた(ケーキも食べなかったしツリーもなかった)。なので、小学生となり友人が「○○をもらった」と話しているのを聞いて、日本でももらえるものなんだな、と驚愕したものだ。しかし、だからといって親にプレゼントをねだったことはなかった。お正月になれば一応お年玉を貰えていたので「一週間前にもまた別に何かを買ってもらうのは贅沢すぎるのでは?」という気持ちが働いていたのだと思う(我ながらなんて謙虚な子供なんだ)。そういったわけなので、実は子供ながらの「クリスマス」というものに対するワクワク感を持たずに育ってきた。給食にケーキが出る日ぐらいの認識だった(なんて健気な子どもなんだ)。
 思えば、そういったことがよくある家庭だった。クリスマスに限らず、正月に家族で初詣にいったこともなければ(前述のようにお年玉はもらったけれども)、大晦日に除夜の鐘をつきにいったこともなかった。いわゆる世間一般の「季節の行事」というものを感じるのは幼稚園や小学校に上がってからで、そこでようやくそういった文化を知っていったのだった。
 しかし、だからといって家が無宗教であったかというとそうでもなく、家には神棚もあったし仏壇もあった(それもおそらく何百万とするものだ)。父親は年に何度か家に坊さんを呼んで念仏を唱えてもらっていた。だから、きっと父親は熱心な仏教徒だったのだと思う。おそらく浄土宗かな。それは、住んでいる地域が農家の多い地域であり、私の家も農業を営んでいたからだと思う。農業をするには代々受け継いできた土地が必要であり、そのために地域のつながりというものも根強くなる。家の近くにはお寺や神社もある。信仰は虫供養や豊作の祈願といったイベントとして生活の中に自然と入り込んでいる。まさしく神様仏様の文化だ(詳しくは知らないけれど)。
 そういった家で生まれ育ったのであるが、それを父は私に強要することはなかった。このことは、よくよく考えると凄まじい教育だったと思う。田舎というものはそういった文化も受け継いでいくのが自然であるが(別にそれを悪いと言っているのではないが)、それを子供に強要してこなかったのは、とても先進的な考えだったのだと今になって思う。子供の頃は気づかなかったけれども。進路や教育についてほとんど口出しをしてこなかった父の、誇らしい教育方針であった。
 そんなことをクリスマスや正月を迎えるこの時期になると思う。今年も年末年始が普段と変わらずに通り過ぎていく。初詣も未だに一回も行ったことはない。一回くらいは行ってもいいかな、とも思うけれど、毎年恒例の神社の混み具合のニュースを見て今年も行かないのだろう。