後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

いまさらJOYFUL LOVEと養老天命反転地を考える

 日向坂46の楽曲に『JOYFUL LOVE』という楽曲がある。『JOYFUL LOVE』は2019年3月にリリースされた日向坂46のデジューシングル『キュン』のカップリング曲であり、当時はメチャカリのCMソングとしても起用されていた。もはや日向坂46のライブでも『JOYFUL LOVE』は欠かせない曲となっており、楽曲が披露されるときにはファンによって会場一面が虹色に染まることもお馴染みとなっている。

 

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 そして『JOYFUL LOVE』はMVも制作されている。このMVがまた素晴らしく良い出来栄えで、映像としての美しさとダンスの振り付けがマッチしていて超良いのだ。そして今見るともう卒業してしまった柿崎さんのシーンが多くてちょっと切なくなったりもする。

 


日向坂46 『JOYFUL LOVE』Short Ver.

 

 このMVの撮影場所となったのが岐阜県養老町にある「養老天命反転地」と呼ばれる施設である。今回はそのMVロケ地となった「養老天命反転地」と『JOYFUL LOVE』について書こうと思う。なぜ今さら一年半以上も前にリリースされた『JOYFUL LOVE』についてかというと、11月の下旬にその「養老天命反転地」に行ってきたからだ。

 

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  揖斐川を河口から川沿いに40分ほど北上すると「養老の滝」で有名な岐阜県養老町に入るのだが、「養老天命反転地」はその養老町のほぼ中央に位置している。今は亡き荒川修作とマドリン・ギンズによりデザインされたテーマパーク型のアート作品であるこの施設は、養老公園の内部に造られている。そのためか、あるいは自分が行ったのが日曜日だったせいか、公園内は家族連れで賑わっていた。

 養老天命反転地。ぽっかりと天に向って口を開けたチョベックすり鉢状のこの施設に足を踏み入れると、足元にはでっかい日本地図が埋め込まれていたり、デコボコな斜面や人一人しか通れないほどの狭くて長い通路などが造られている。第一印象として、園内はどこに行こうとも歩きにくい。滑りやすい斜面に穴ぼこが空いていたり、かがんだ姿勢を強いられる通路だったり、とにかく体がアンバランスになることを強制されているような感じ。きっと意図してデザインされていることなんだろうけれども、本当にそんな感じだった。斜面の真ん中の穴ぼこなんて、ちょっとした柵があるだけで普通に落ちる危険がある。「子供とか危ねぇだろうな」って思っていたら、そのために子供はヘルメットが利用できるらしい。つまり人間側が注意しろよってことだ。なんて時代に逆行した施設なんだろうか(でもアートってそういうことなんだろうなぁ…)。

 養老天命反転地そのものや園内に散在している建造物の意図や目的をその場ですべて読み取ることなんてできなかったけれども(そもそも芸術ってそういうものなんだろう)、あとから色々と資料や荒川修作の本を読んでみると、どうやらやはり狙いはそういうところ(アンバランスであることを強いる体験)にあるようだ。

 そもそも考えてみれば「養老天命反転地」というネーミングは凄まじい。天命が反転する地。その場では天と命が反転し、日常と非日常が反転し、自己と非自己が反転し、地と宇宙が反転し、人工と自然が反転する。人間の歴史の中で創り上げてきた価値観が一変させられる。

 人類は繁栄してきた歴史の中で様々なものを生み出してきたが、その中で特に人間の価値観形成に関与しているものを考えると「言語」が挙げられるだろう。言語を発達させることができたから、他者とコミュニケーションがとれ、統制がとれ、そしてルールや規律がつくられることで集団として生きていくことができるようになったのだ。社会を形成し、そしてその中で生きていくためには「言語」は不可欠なものなのだ。

 しかし、この場(養老天命反転地)ではその言語すらも没却される。言語不要のコミュニケーションである。デザイナー(荒川修作とマドリン・ギンズ)の意図は言葉として説明されるものではなく、園内を歩いたり、斜面を登ったり、壁を触ったり、頭をぶつけそうになったり、足腰をいわしそうなるその物理的な体験の中でなんとなく伝導してくる。養老天命反転地を理解するのに言葉なんていらないものなんだろう。

 例えば、大人に比べて子供は言語能力が発達しきれていない。でも、園内の子供らは斜面を駆け上がり、転げまわり、遊具はなくともとにかく楽しそうなのだ。自らで「遊び」の方法を発見している。園内には「養老天命反転地記念館」という建物があるのだが、その中は腰の高さほどの壁で造られた迷路のような構造をしている。迷路というのは決められたルートをたどっていくものであるが、子供にとってはそのルールすらも無用で、平気な顔で迷路の壁によじ登ってゲラゲラ笑っている。ちょっと、大人にはない発想だ。大人がどれだけルールに縛られて生きているかを目の当たりにさせられる。

 すなわち、この空間を楽しむのにはルール(=言語によってできた決まり)は不要なのである。この空間内では、言葉を使わなくとも、そういった体験の中で身体を再構築することができるのだ。

 

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 さて、養老天命反転地について長々と綴ってきたので、ここからはそんな養老天命反転地でMVが撮影された『JOYFUL LOVE』についてを(といっても『JOYFUL LOVE』を知っている人からしたらここから言わんとしたいことはもう解ってしまっているかもだけど…)。

 『JOYFUL LOVE』は前述のように日向坂46の楽曲の中でもお馴染みの曲である。  

 

君が微笑むだけで 何だって許せてしまうんだ
まるで木漏れ日のように 温かい気持ちになれる

 

 この節から始まる『JOYFUL LOVE』は、この箇所からもわかるように、「君」が存在してくれることだけで世界を生きていていく力になってくれる、ということを歌っている。「君」というのが主人公「僕」にとっての友達なのか恋人なのか家族なのか、その関係性は直接明かされてはいないけれども、そういう人が一人だけでもいてくれるだけで、ずっと生きやすくなるのは事実だ。例え気の利いた言葉をかけてもらうでなくとも、あるいはこちらから悩みを打ち明けるでもなくとも、ただ存在してくれるだけでパワーを与えてくれる存在への尊さが込められている。

 

頬に落ちる涙は
温もりに乾かされるのだろう

 

 太陽の光に私たちは暖かさを感じるが、この時、媒介を必要としていない(熱力学ではこのような熱の移動を「放射」という)。熱源と対象の間には何もなくとも(例え真空だろうとも)熱は伝わってくるのだ。だから、太陽はそこに存在するだけで対象を温めることができるのだ(「日向坂」というグループ名とこの曲の親和性がえげつない)。

 

 また、この楽曲に込められたメッセージはそういった普遍性を残しつつも、アイドルとそれを応援するファンの関係性にも当てはめることができる。日向坂46の楽曲にはそういった曲(直接提示されなくとも、アイドルとファンの関係性に当てはめることのできるような楽曲)はちょこちょこある。『キュン』も『ドレミソラシド』も『アザトカワイイ』もそう読み取ることができるだろう(少なくとも私はそう読み取った)。

 ファンにとってのアイドルって、そういうものだろう。ただそこに存在して楽しそうな表情を見せてくれるだけで、応援する側にとっての生きるパワーに成りえるのだ。日常には腹の立つことやしんどいこともあるけれども、応援しているアイドルの曲を聴いたりライブを観たりするだけで、それだけで、ずっと生きやすくなる。応援とは愛であり、愛を向けることは世界を肯定することにつながる。言葉でも理屈でもなく、そういう力がアイドルにはあると思うのだ。

 

誰も生きてれば嫌なこととか
傷つくこといくつもあるよ
だけど君と出会ってから変わった
俯くより顔を上げた方が
人生は楽しいんだ

 

 そして、書きながらふと思ったことだけど、(アイドルに限ったことではないが)ライブを観たあとにファンが語彙力を失い「最高だった…」と繰り返すだけの状態に陥るのも(オタクあるある)、そういうことなのだろう。言語化するということは色んな感情を削ぎ落とす行為である。くらったものの情報量に圧倒され言語能力が追いつかなくなるというか、感想を言葉にしてしまった途端に陳腐なものに成り下がってしまう(ような気がする)のだ。だからそこには言葉による説明は必要ないのだ。

 

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 …ということで、何が言いたいか自分でもわからなくなってきたが、 要は「言語を必要としない空間がMVロケ地で、言葉がなくとも人間はエネルギーを与える(受け取る)ことができるという歌なんだから、そりゃ『JOYFUL LOVE』と『養老天命反転地』ってめちゃくちゃ相性がいいよね」ってことだ。言いたいのはただそれだけである。

 

 ここまで書いといて「なんか、うまくまとまらなかったな…」と今さらになって思うのだけど、垂れ流したかっただけなので目をつむっていただければと思います。THE 実力不足。ただ、何度も書いているけども『JOYFUL LOVE』はとんでもなく良い曲ですし、養老天命反転地もなかなか面白い施設でございました。

 

 

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おまけ(ただのオタク)。

 

 

 

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参考文献

・『養老天命反転地荒川修作+マドリン・ギンズ:建築的実験』(1995)毎日新聞社

・『芸術の神様が降りてくる瞬間』茂木健一郎(2007)光文社

・『22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ 天命反転する経験と身体』三村尚彦・門林岳史(2019)フィルムアート社