後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

vs 親知らず

 つい先日のことであるが、歯を抜いた。遡ること2ヶ月ほど前、いつも通っている歯医者で親知らずを抜く話になり「神経にぶつかってるからうちでは無理だわ。総合病院へ紹介状書くわ」と言われたことから始まり、ようやく抜くに至った。一ヶ月前に初めて病院で診察してもらった際には「じゃあ一ヶ月後に抜きましょう、まぁなんとかなるでしょう」とあっさりと言われて拍子抜けしてしまった。「え、いつもの歯医者の先生には『下手したら痺れが後遺症として残るかも』って脅されたんですけど!?!?????」と狼狽えたことを覚えている。それは魂からの叫びだった(マジで怖かった)。それからあれよあれよと抜く日が決まり、当日が来てしまったのだ。その間の一ヶ月というのは本当に憂鬱だった。「そもそもなんで親知らずって生えるんだ進化の欠陥じゃねぇか!」と世間で散々擦り倒されている怒りをぶつけていた。

 で、当日。午後イチで予約しており、そのためにリモートのゼミも欠席。午前中は講義の資料を作って過ごしていた。資料を作りながらも20回くらいため息をついていたし、緊張で朝ごはんも食べられなかった。追い込まれている。思い返せば8年前に反対側の親知らずを抜いた時もそうだった。私は歯の治療が本当に嫌なのだ。嫌だから歯の治療に関する日記ばかり書いている。否応なく心が揺れ動かされてしまうから。

 病院へ行き、予約を済ませ、診察室の前で待つ。あまりに緊張しすぎて1時間前には到着していた。待ち時間用に読む本も持ってきていたのだが、すぐに読むのを辞めてしまった。何気なく読んでいる途中だった本をバッグに入れてきたのだが、流石にこのシチュエーションで養老孟司先生の解剖学の本は相性が悪かった。仕方ないのでぼーっとしながら待ち、そして自分の番が回ってきた。

 診察室に入り、治療用に椅子に座る。さっそく親知らずを抜く工程の説明を受ける。その時に説明が記載されている紙も渡されたのだが、タイトルの「手術説明・同意書」という文字でまず挫けそうになる。「手術」というワードが怖すぎるのだ。そうなんだよなぁ、親知らずを抜くのも手術なんだよなぁ。そして局所麻酔でやるとのこと。「できれば全身麻酔でやってくれんか…?」と心の底から思うのだけども、そんなことも言い出せず「頼むから麻酔は一発目でなみなみと注入してくれ!」と祈るばかりだった(その後施術中に足りなくて2回追加された。どうなってんだ馬鹿か)。

 そしていよいよ始まる親知らずの抜歯。施術中は口のところだけ穴の空いた布を被せられていたので何が起こっているのかは見られなかった。しかし、感触だけで色んな器具が口腔内に入れられていることはわかったし、耳から、そして骨を伝導してくる音が最悪だった。金属の擦れる音、回転数の変化に伴うドリルの回転音の変化(高音が響いているときなんて拷問そのものだ)、歯を削る音、歯を抜くときの顎の骨の音。ひっきりなしに色んな音が聞こえてくる。「今私の口腔は地獄おもちゃ箱状態だな…」なんて被せられた布の下で思っていたけれども、その間も脂汗は止まらないし、ちょっとだけ涙も出た(布を被せられていて本当に良かった)。そして一番嫌だったのは、歯を抜いた後に口腔内の肉を糸で縫われている時間だ。麻酔が効いているので痛みはないけれども、糸の余りの部分が口にのっている感触だけはわかる。そして縫う度に糸がすーっと唇の上を通過していくのだ。その感覚が本当に気持ち悪かった。まるで人間じゃない何かのような扱いをされている気分だった。「ぬいぐるみって意思があったら縫われている間はこんな感覚なんだろうな…そもそも『ぬいぐるみ』って人間側の視点からの名前で、本人からしたら『ぬわれくるまれ』が正しいな…」なんて阿呆なことを考えていた(文字にしてみるとけっこう余裕あるな)。

 そういったわけでなんとか無事に施術を終えた。めちゃくちゃしんどかったけれども、とりあえずは一安心だ。痺れが残ることもなかった。その後は術後の説明を受けて薬をもらって帰った。あとは来週、抜糸をするだけだ。

 あとは余談だけども、家に帰って煙草を吸った時に、吸口が血で赤く染まったのには笑ってしまった。すっかり忘れていたが「術後しばらくは出血します」と説明を受けていたことを思い出した。赤く染まった吸口の煙草を見ながら、口紅付いてるみてぇだな…と変な気持ちになった。きっと細くて長い煙草だったらもっと雰囲気出てたことだろう。