後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

ジーン

 今年に入ってからでしょうか、芸能人の方の自殺が度々話題になっています。つい先日も女優さんが自ら命を絶たれて、センセーショナルなニュースとして取り上げられていました。こういったニュースがある度に、無理やりその原因・理由を求める風潮が見受けられます(ワイドショーなんかもそう)。それはおそらく、何かしらの答えがあることによって、大衆が納得・安心したいのでしょう(ワイドショーの場合は主に視聴者が)。

 しかし、自殺の理由なんて他者にはわからないことのほうがずっと多いですし、場合によっては本人にもわからない場合だってありえます。ですので、どれだけ自殺してしまった原因を他者が探そうとしても、それは無意味なことでは、と個人的には思うのです(むしろ、墓荒らしのような下品さすら感じます)。

 また、こういったニュースがあると、「自殺はよくない」「自殺は甘え」といった意見が見受けられます。ですが、その言葉を発しているのは、そもそもが強くてギラギラと生命力に溢れている人なのではないでしょうか。そういった根本的に人間としてのパワーを持っている人だから、その人の発する強い意見も拡がりやすいのだと思います。その意見が間違っているとは思いませんが(そもそも正解・不正解のある問題ではないですしね)、やっぱり自分はそういう考えには至れないな、と思うのです。今の所、自ら死のうと思ったことはありませんが、この先もずっとそうだとは限りません。ふとしたきっかけで、自殺に至る場面・発想にぶち当たる可能性だってありえますから。

 そもそも、人間の死に方なんて自ら死ぬか、あるいは別の何かによって殺されるかの二通りしかないのです。自殺はダメで、じゃあ病気や事故で死ぬのはOKなのかってことになります。病気によって死ぬのも事故で死ぬのも、自らの意思とは別のモノによって殺されるならば、それは広義の意味では他殺と同じなのではないでしょうか。そういった別の要因によって死に至る場合と比べたら、少なくとも自殺は自分の意志が介入する分理性的であるのでは、とも考えられます(肯定しているわけではありませんが)。

 だから、色々思い悩んで、死ぬほど考えた上で死のうと思っている人を引き止めることは難しい(と個人的には思います)。「生きていればいいことある」なんてコンビニエンスな言葉を投げられても、きっと思い悩んでいる人はそんなことはとっくに考えた上で、それでも死のうとしているのですから。唯一かけられる言葉があるとしたら「あなたが死ぬと私が悲しい」ぐらいではないでしょうか。死のうと思っている人の気持ちに寄り添うのではなく、その人が死ぬことで与えるだろう世界への影響を語るのでもなく、自分がどう思うか。それが唯一投げかけられることだと思います(それで食い止められるかどうかはまた別の話ですが)。

 

 

 15年ほど前、フジテレビの月9ドラマに『不機嫌なジーン』という作品がありました。当時ではなかなか珍しく(今もなのかな?)理系の研究室が舞台のドラマでした。主人公のヒロイン(竹内結子さん)が動物行動学の研究室に属する大学院生で、その研究室に男女関係にだらしない教授(内野聖陽さん)がやってきて…みたいなストーリーでした。干拓事業における地元住民の反対運動の話とか、今思えばなかなかエグい話も盛り込まれていて尖った作品でした(だから視聴率もあまり良くなかった)。ですが、当時中学生だった私はこのドラマが好きでした。理由は生き物がいっぱい出てくるから(単純な中学生です)。リアルタイムでも観ていましたし、その後も数年おきにDVDを借りて観ていたのを覚えています。

 また、このドラマには「男が浮気をするのは遺伝子のせいだ」みたいなテーマがあって、ドラマに登場する教授がその仮説の根拠にリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を使っていました。今振り返れば「教授のくせにその理解で大丈夫なん???」とも思いますが(まぁドラマですから一般層へのわかり易さ優先の作りなのでしょうね…笑)、そういうことを取っ払っても、やっぱり今でも好きなドラマの一つです。

 それから15年が経ち、私も動物を研究しています。別にこのドラマに影響を受けたから私も動物の研究者になろうと決心したわけではありませんが(もしかしたら自覚がないだけで色々ある要因の一つだったのかもしれませんがね)、「『不機嫌なジーン』、めちゃくちゃ好きだったなぁ…」と、そんなことを思い出したここ数日でした。