24時間
8月24日。月曜日。今日もやっぱり夏です。朝からずーっと暑い。家の周りの田は絶賛稲刈りシーズン真っ只中なので、夜帰ってくる度に刈り取られていった面積が増えていきます。だいたい一週間ほどで地域の田はすべて刈り取られることでしょう。
午前中に資料を作成し、午後から講義のお仕事が一本。夏休み明け1発目でしたが、滞りなくこなします。ただ、久しぶりにマスク着用状態で喋るとやっぱりしんどいですね。「そうそう、こんな感じだったなぁ」と2週間ぶりの感覚を思い出しました。しかし少なくとも今年度いっぱいはこのマスク着用が続くことでしょう。後期になると、講義のコマ数が増えるのでそれだけが懸念点です。いい加減どこかでぶっ倒れるんじゃないかしら…
家に帰ってきた後に、ちょっと論文関係でトラブルがあったのでその解決方法をあれこれ考えていました。今のところ解決アイデアは出ず。まぁ、そのうち、なんとかなることでしょう…謎の自信です。
いつの間にか今年も24時間テレビが終わっていました。土曜日曜でしたね。私は毎年知らないうちにやってて知らないうちに終わってるパターンが多いのですが(そもそもほとんど観ない)、今年はオードリーANNを聴いていて、そこで気づきました(オードリーが私の住む地方の24時間TV特別パーソナリティだったためCBCラジオから放送をしていた)。なので、日曜日午前の出演部分だけ観ていました(その時間帯はおそらく各地域で内容が異なっているのでしょう)。
24時間テレビの時期になると、まるでテレビ局に親を殺されたかのように24時間テレビを批判する人がいます。別に、何を思うかなんて人それぞれですが「そんな100%でブチ切れんでも…」と個人的には思います。そりゃ自分も、24時間やることとかマラソンの必要性とか、なかなか個人的に理解しにくい部分もありますけど、だからといってすべて無意味だとは思いません。例えば、私の観ていた時間帯では、脚に障害を持った親の方が赤ちゃんを自分の手であやしたいという目標のためにトレーニングをする、という密着VTRが放送されていました。そのトレーニングでは腰につけるリハビリ用のパワースーツが紹介されていて、私は「そういう(アシストする)機械があるのか」と興味深く観ていました。でもこれは、きっと24時間テレビにオードリーが出てなかったら観なかったし知らなかった情報だと思います。芸能人を起用することで批判されることも多いですけど、そういった「認知してもらう」という啓蒙活動的な側面も24時間テレビにはあるのだと思います。募金うんぬんだけじゃなくて。そしてそれは、テレビというメディアに残っている力だと思います。ネットだとよっぽど能動的に意識しないと調べることもないでしょうし。ただ、きっと、その力が暴走して感動路線に行き過ぎてしまっているところが批判の対象になりやすいのかもしれませんが。
そもそも、別に強制で24時間見させられてるわけでもなけりゃ、募金だってしたい人が自分の意志でやっていることなので、合わないと思えば自分が観なけりゃ(しなけりゃ)それでいいと思います。募金の方法だって24時間テレビ以外にも沢山あるわけですし。
ただ、いやだからこそ、そんな批判せんでも…というのが毎年思うところでございます。100%ブチギレの人ほど、テレビとの距離感が近すぎるのでは、と思います。アニメの冒頭で注意書きが流れているように、明るい部屋で適切な距離を保って観るのがよろしいかと(それにしても一個前の記事との温度差がすごい)。