後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

誰が言ったっていい

 ここ最近、に始まったことじゃいけれど、よく思うことについて。政治家や芸能人が何かやらかすと、それに対して色んな意見が集まります。そしてその中には、過去に何かしらやらかした別の著名人の意見も含まれていて、その意見に対して「お前が言うな」というコメントが山のように集まってきます。主にヤフーニュースのコメント欄とかSNSとか。

 この「お前が言うな」ってのが、昔からどうも好きになれないでいます。別に今に始まったことではないのですが、特にここ最近ではオリンピックや新型コロナウイルス関連のニュースで目にするようになってきました。しかし、「お前が言うな」と言ってしまったらそこで議論は終わってしまいます。そもそも議論にすらなっていません。大事なのは「誰が言ったか」ではなくて「何を言ったか」でしょう。その内容の論理性こそが、吟味されるべきでしょう。だから、別に不祥事を起こした芸能人が今不祥事を起こした芸能人について意見を言ったっていいし、票の取れていない野党が与党を批判したっていいし、知られていない人が著名人に意見してもいいのです(もちろん、ただの誹謗中傷ではないことが前提だとは思いますが)。例えば、科学論文では雑誌に掲載される前に、「査読」というステップがあります。そこでは有名な教授だろうが学生だろうが条件は同じで、等しく内容に対しての吟味がなされるわけです。

 まぁこの「誰が言ったか」を分離して考える、というのはなかなか難しいことで、えらそうにごちゃごちゃ書いているけど私も完全に出来ているわけではないですがね…(少なくともそうしようとは心がけていますが)

 また、この「お前が言うな」ってのは誰にでも簡単にできる批判(にもなっていないけど)だからこそ、よく使われるのかもしれません。マスコミ側も、それを知っているからこそ、そういった芸能人のラジオやテレビでのちょっとした発言ですらもネットニュースに仕立て上げているのだと思います。簡単にアクセス数やコメント数が稼げる手法であって、大衆に「お前が言うな」とツッコませるようにコントロールされているわけです。マキタスポーツこと槙田雄司氏が著書『一億総ツッコミ時代』の中で、「マスコミの尻馬に乗って安易な魔女狩りがなされている」ことを批判していましたが、まさにその通りだと思います。ツッコミすらもコントロールされていて、そのニュースを受け取る側はそのことに気づいていません。気づく前に次の「お前が言うなニュース」が現れる、無限お前が言うな構造が形成されているのです。

 簡単に「お前が言うな」に流されないように生きていきたいものだな、と思ったのでした。

 以上、最近思うことニュースでございました。