後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

ブラックボックス

 8月3日。月曜日。午前中に家で資料を作成、午後には講義を1本、そんな感じの一日でした。4月5月の自粛期間のせいで6月から補講&補講の付け焼き刃な前学期でしたが、なんとか予定通りこなせそうです。私は非常勤講師として予定されたコマ数をこなしていくだけですが、学校の事務の方々やあるいは学生さんにとっては、カリキュラムの組み直しなど、なかなか大変な今年度だったことでしょう。こちらは都内でもないので、対面の講義も再開されていますし、まだなんとかなっております。

 さて、そんな今日の講義は今ホットな免疫学についてでした。とはいえ、免疫学なんてやろうと思えばそれだけで15コマ分やれるところを凝縮しての1コマ分なので、個人的には「本当はもっと面白いんだけどなぁ…」と不完全燃焼感はありました。どうしても当たり障りのない上澄みの部分だけになってしまうので。また、講義をした印象として、思っていた以上に知られてない分野なんだな、と思いました(このへんの感覚の違いはわかんなくなりがちですので反省も必要なのですが)。今はニュースでも「抗体」だとか「集団免疫」といったワードを連日目にしますが、実際にそれが何を指していて体の中でどういった働きをしているのか、よくわかっていない方がかなりいらっしゃる印象です。知らないことはこれから知っていけば良いのでそれ自体をどうこう言うつもりはありませんが…

 それに関連してじゃないですけれど、だからSNSなんかではちょっと考えれば(あるいは調べれば)わかるようなデマも蔓延するのでしょうね。30度弱のお湯がコロナウイルスに効くだとか、花崗岩から放出される放射線が良いだとか、そんなんもありましたね(それらはまだわかりやすいデマなんでしょうけれども)。確かに人間の体内での分子レベルのメカニズムや構造は複雑ですし、まだわかっていない事があるのも事実ですが(それこそ解析にスーパーコンピュータレベルの演算能力が必要な部分もありますし)、だからといってすべてがブラックボックスのままであるかというと、決してそんなことはありません。コロナウイルスについても、その系統樹(どうやって変異してきたかた)や、どのように体内に取り入ってくるかなど、かなり詳細までわかってきています。そしてそれを発信しているメディアもあります。しかし、そういった情報はどうも一般受けが悪いというか、あまり知られていないのが現状です。そういうことよりも、「結局安全なのか危険なのか」といった結論だけが求められているように見受けられます。これは、震災後の原発問題の時にも感じたことですが、要は「自分では考えられない(あるいは考えたくない)ので答えだけ教えて欲しい」という願望が乗っているからなのでしょう。そうやっていち早く安心したいからこそ、デマも蔓延るのだと思います(最近のSNSはちょっと見てらんないくらいヒドいですが…)。

 ですが、その「考えずに答えだけを求める行為」ってのは、あまり理性的だとは思えません。飼い主に餌を求めるペットと同じではないでしょうか。人間だからこそ、自分の身を自分で考えることができるのです。短絡的に答えだけを求めて、またその答えに不平を言うには、結局自分が損するだけです。そしてそういう人はきっと、自分が損をする羽目になってもまだ不平を言い続けるのでしょう。できるかぎり人間であり続けたいなと、そんなことをぼんやり考えた一日でした(前も似たようなことを書いたような気がしますね)。