後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

話を聞いてもらいたいという欲求

 今週水曜日に放送された『あちこちオードリー』が面白かった。書き始めが毎回エンタメの内容ばかりで恐縮ですが、それぐらい普段の個人的な生活には変化が乏しいので仕方ないのです。そんな悲しい現実はおいといて、とにかく今週の『あちこちオードリー』がめちゃくちゃ面白かったのです。いつもの『あちこちオードリー』のスタイルとは違い(いつもの、オードリーが話を聞きたいゲストを招いてただただ話を聞いていくスタイルも好きなので毎週視聴しているけど)、特別企画「アンミカ聞いてよ!どんよりポエム発表会」が放送されました。内容は、ゲスト(神田アナ、森三中黒沢さん、四千頭身後藤さん)が普段感じているモヤモヤをポエムにして発表し、その解決策やアドバイスをアンミカさんからいただく、というもの。

 そのやりとり、というかアンミカさんのポジティブな助言がどれもこれも素晴らしかったし、番組内でも若林さんに「集団セラピーじゃねぇか!」とツッコんでいたけれど、本当に構図がアンミカさんが教祖に君臨した団体の様でした。

 しかし、なんというか、面白かったのですが、それ以上に「人間って元来誰かに話を聞いてもらいたい生き物なんだな」と思いました。黒沢さんも番組内で「こんなに人に話聞いてもらったの、なんか嬉しかったです」と話していましたが、まさに。そういう欲求を根源に持っている生き物なのだと思いました。だから、例えば新興宗教にハマって、それによって大金を失ったり破滅に至ってしまう人がいたとしても、そのきっかけは「話を聞いてもらいたい」という些細な欲求が始まりだったりするのでしょう。その願望は誰にもあるものだから、そういう人(新興宗教にのめり込んでしまった人)に対して「あの人は…」などと揶揄することはできないよな、と思いました(後ろ指を指しがちだけど)。もしも身の回りに話を聞いてくれる人がいなかったり、悩みを吐き出せる場所がなかったりしたとき、そういう相手(それが自分を騙して大金を貪ろうとする人間だったとしても)が現れたら依存してしまう気持ちは理解できるものです。誰かに相談をしたい人というのは、問題を解決したいのではなく、実は自分の話や悩みを聞いてもらいたい、聞いてもらった時点でほとんど解決している、というのもよく聞く話です。だから占いというものが昔からずっと流行り続けているわけだし、教会には懺悔室があるのでしょう(同列に並べたら怒られそうだけど)。

 そんな、人間の根源的な欲求について番組を見ながら考えたのでした。

 そういえば、人類の進化には脳の大型化が必須であり、約180万年前以降に自分を認識できる能力を身につけ、20万年前以降には他者の考えを認識できる能力を手に入れた、と本で読んだことがあります。そして初期ホモ・サピエンスとして、10万年前以降に自分自身の考えについてじっくり考える内省能力を発達させたそうです。言語を使い始めたのは5~7万年前ぐらいと聞きました。それによってコミュニケーションを他者ととり集団として生存しやすくする目的もあったかと思いますが、「自分の話や悩みを誰かに聞いてもらいたい」という目的・欲求もあったのではないか、と思うのです。やがて人類は進化の過程で神や宗教的な観念すらも創造(想像)するようになったけど、そこにも「(神様に)自分の話をただただ聞いてもらいたい」という欲求があったのではないか、と思うのです。「誰でも良いからこの心の中にあるモヤモヤを聞いてくれ!」という欲求が人類を進化させてきたのではないか、と思ったのでした(※考古学を専攻していたわけではないし、勝手なことを書いています)。