後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

桜に騙されないぜ

 3月30日。月曜日。小雨のような曇り空のような、そんな中途半端な空模様でした。あまり寒くはなかったので、それだけがラッキィです。3月もあっという間に終わり、もう今週半ばからは4月ですね。都内の大学ではスタートを一ヶ月ほど遅らせて連休明けからの開講するとか、衛星通信を使って自宅から講義を受けられるシステムを利用するとか、色々と対応が大変そうですが、こちらは全く関係なくスケジュール通り4月からのようです。ただ、入学式はさすがに取りやめになったようですが。まぁ、特に私は関係ないんですけれども。

 ここ最近は研究室で一日中座りっぱなしなので腰がパラダイスしております。家の椅子はそこそこの値段のものを使っているので腰へのダメージもそこそこで済んでいますが、研究室の椅子はそういうわけにもいかないので(自腹で買えばいいだけですけれども)、腰へのダメージがえげつないのです。いい加減そろそろ腰骨取れるんちゃうんかボケェ!と毎日帰り際に吠えています。まぁ、どうしようもないのですけれども。

 研究室まで自動車で通っているのですが、その途中に桜の樹の並んだ通りがあります。こちらの地方でもようやく七分咲ぐらいになっているのですが、この、桜というものがどうも私は苦手なのです。もちろんその美しさは認めているものの、なんというか、得も言えない薄気味悪さを同時に感じてしまうのです。それはおそらく、中学生か高校生の頃に「すべての桜(ソメイヨシノ)は遺伝子が同一のクローンである」と習ったことが原因なのだと思います。ソメイヨシノは江戸時代末期頃に別の2種類の桜の交配によって作られ、そこから接ぎ木によって全国各地に広まっていったことが知られています。接ぎ木というのはすなわちクローンであり、親と子(という表現が正しいかはわかりませんが)は同じDNA配列を持っているということです。これが、ちょっと怖い。別にクローン自体は自然界でも珍しいものでもないのですが(アメーバの分裂とかプラナリアとか)、なんというか、日本人が心を動かされている春の風景のすべてが同一個体というのは、ちょっと恐ろしいと感じてしまうのです。まるで桜が、人の「美しい」と感じる感性に付け入ることによって、文化に付け入ることによって、生存戦略を成功させているような気がしてならないのです。ほら、ちょっと不気味に感じてきたでしょう?

 なので毎年せめてもの抵抗として「美しいとは思うけど、それがお前らのやり方だってわかっているからな?」と桜の樹に向かって言い放っています。スマホの中で桜の写真がクローンのように増殖しそうな気がするので撮ることもありません。人間代表として、私だけは騙されないから。