後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

青春時代とHIPHOP

 3月27日。金曜日。朝からずっと雨の一日でした。雨といってもここ数年は電車に乗らない生活をしているので影響は些細です。大したことねーぜ、雨。どうでも良いことですけど、形状が春の雨に似ているから「春雨」ってのは、ちょっと、うるせーな、と思います。どうでも良いことですけど(春雨自体が好き)。卒業式も終えたので大学は閑散としています。いつものようにパソコンに向かって作業をし、途中図書館に調べ物をしにいき、戻ってきて講義の資料を作ったりしているうちに夜でした。最近、日向坂ちゃんのことばかり書いていますけれど、夕方から夜にかけてデュー1周年記念生放送をやっていたので作業をしつつこっそり見ていました。いやー、良かった。ぽかぽかキュンって感じです。『キュン』は本当に名曲。

 今週の火曜日のbayfm「ON8+1」(サトミツさんがパーソナリティのラジオ番組)が若林さんがゲスト回でHIPHOP特集をやっていたのですが、それを聴いて以来、今週はずっと日本語ラップを流していました。今でこそHIPHOPは限られたアーティストさん(特にCreepy Nuts)しか聴かなくなりましたが、高校生の頃なんかはちょこちょこ聴いていたので、その頃の記憶が蘇りました。

 私が高校生の頃はすでに日本語のHIOHOPも根付いていて学校でも流行っていました。Dragon AshキングギドラKREVAケツメイシもRIPSLYMEもKICK THE CAN CREWも流れていました。ただ、HIPHOPやっぱり陽キャのものという認識が強かったので、もちろん聴いていましたが(こっそりと)、RHYMESTERスチャダラパーといった、その当時では世代の違う人たちの曲も通ぶって聴いていました(全然通でもなんでもないんですけどね)。その時はあまり時代のこととか考えなかったですけど、HIPHOPが強かった時代だったなーと今になって思います。また、私は東海地方在住なので、名古屋の強いHIPHOP文化の影響もちょっとだけあったのかなーとも思います。呂布カルマやAK-69も愛知ですしね。ラジオをつければ当時は名古屋で活動していたnobodyknows+HOME MADE 家族SEAMOがガンガン流れていましたしね。そんな青春時代を過ごしておりました。