後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

本当にマスクって売ってないんだなぁ

 3月1日。日曜日。朝から謎の頭痛が続いているため、追い込まれている論文の作業などはほとんどせずのんびりと過ごしておりました。藤井太洋氏の『ワン・モア・ヌーク』を読みました。元々プログラマーであったりとテクノロジーに造詣の深い藤井氏なので、この作品においてもそういったディティール部分へのこだわりが垣間見えて大変面白かったです。細かいところはわからなくとも、読む側が想像で補って楽しめるのは、物語自体の引きの強さなんでしょうね。いやはや、凄い作品だった。

 地方に住んでいるのにも関わらず、コロナウイルスの影響でマスクが買えなくて困っております。ウイルスとマスクの繊維の大きさを考えれば、それだけでウイルスの除去ができるなんて毛頭思ってもおりませんが、保湿のためにマスクをしている身としてはちょっと困る状況です。この乾燥している時期なんかはマスクをしないとすぐに喉が痛くなるのです。あと花粉症シーズンにもなりますしね。

 ウイルスに限らず、地震放射能もそうなのですが、万人に有効な手段なんて存在しないのです。どうしてもウイルス=死ぬ、みたいな短絡的なイメージだけが独り歩きしているように見受けられますが。年齢も性別も住んでいるところも人によって違うわけで、そのパラメータによって危険率は変動するものなのに、一緒くたにして反応している人があまりにも多すぎるのは、と思います。そしてそういう人ほど、テレビなどのセンセーショナルな情報だけを鵜呑み・あるいは逆に強く反発しているような気がします。結局、テレビの情報も、それを痛烈に批判すること(あるいはその批判だけを信じること)も、やっていることは変わりないのではないでしょうか。大切なのは対象(今現在で言えばウイルスでしょうか)をよく知り、自分の頭で考えることだと思います。一昔前ならまだしも、知るための手段には困らない時代なのです。その手に持っている機械は自分に都合の良い意見だけを脳みそゼロで拡散するためだけのデバイスではないのです。結局何かあったときに損をするのは自分なのですから、自分の頭でよく考え各々に合った対処方法を検討することが大切なのだと思います。

 …なんだか優等生みたいなことを書いてしまったので、バランスを保つため(?)に一口サイズの毒でも吐いておかなければ。コロナウイルスの影響で各地でイベントが休止されていますが(それ自体は主催者側が考えぬいた上での結論なので仕方のないことです)、それに対して「満員電車は〜」と引き合いに出す方が時々見受けられます。でも満員電車は別にコロナウイルスが問題になる前からずっと存在しているものであり、そのリスク(ウイルスに限らず感染症諸々含めて)を背負うというのが都会に住むということなのではないでしょうか。こういう時だけ引き合いに出すのはちゃんちゃらおかしいのでは、と満員電車とは無縁の生活を送っている私は思うのです。嫌なら引っ越すか通勤方法を変えれば良いだけでは。