後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

胎盤の発達とウイルス

 哺乳類の特徴といえば、体中が毛に覆われているとか子を乳汁で育ているとかいくつかありますが、中でもわかりやすい特徴に「胎生である(赤ちゃんを体の中で育てる)」と挙げる人は多いでしょう。胎児が発育するためには胎盤という母体と胎児をつなげる器官が必要ですが、この胎盤を形成するのためにウイルスの遺伝子が関わっていた、という報告が20年近く前から出されるようになりました。

 さて、胎盤は哺乳類の種類によってバリエーションに富んだ器官です。ヒトを含めた真獣類では漿尿膜胎盤と呼ばれる構造をしているのですが、カモノハシやハリモグラなどの単孔類やカンガルーなどの有袋類は卵黄嚢胎盤という構造をとっています。これは、胎盤を形成するときに漿尿膜(漿膜と尿膜が融合したもの)を使っているか、卵黄嚢を利用しているかの違いですが、この違いによって赤ちゃんの生まれ方が変わってきます。知っている方もいるかもしれませんが、カモノハシは卵を産む珍しい哺乳類(卵生)ですし、またカンガルーは赤ちゃんを未熟なまま産んですぐさま育児嚢に移し育てます(なのでポケットがある)。これらの動物は卵黄嚢胎盤です。そして、その他の多くの哺乳類は長期間お母さんの体の中で赤ちゃんを育てますが、漿尿膜胎盤を使っています。これらのことから、どうも漿尿膜胎盤の方が赤ちゃんを母体で育てるのには都合が良いということが考えられます。 

 そんな都合の良い胎盤(漿尿膜胎盤)ですが、そこにはPEG10という遺伝子が発現していることがわかりました。そして、このPEG10遺伝子を人工的にノックアウトすると胚や胎盤がうまく発達できないということも報告されています(Ono et al., 2006)。

 

f:id:sibainu_08:20210628043002p:plain

                            (金児、石野, 2016)

 右がPeg10遺伝子をノックアウトしたマウス。発生が止まってしまっている。  

 

 さて、このPEG10遺伝子が何者なのかというと、由来をたどっていくとこれがレトロウイルスのものであることが判明しました。このPEG10遺伝子は真獣類(ヒトを含む多くの哺乳類)ではよく保存されていますが、単孔類や鳥類、魚類では見つかっていません。すなわち、胎生の始まりとPEG10遺伝子の獲得は時期が一致しているといえます(Suzuki et al., 2007)。

 

f:id:sibainu_08:20210628044800p:plain

                       (Suzuki et al., 2007)

 ※ただし、カンガルーなどの有袋類でもPEG10遺伝子はコードされていますが、使われずに残骸が残っているだけという可能性が考えられています。

 

  つまり、大昔に卵胎生の哺乳類にレトロウイルスが感染し、それがPEG10遺伝子として機能したことが便利な漿尿膜胎盤の獲得につながったということです。

 また、このようなウイルス由来の遺伝子はPEG10だけでなく、他にもPEG11Syncytin(シンシチン)などが発見されています。

 そうです。最近なにかと話題となっているシンシチンです。これらははレトロウイルスの持つenvというエンベロープタンパク質に由来しています。

f:id:sibainu_08:20210628100228p:plain

※ ウイルスの構造(『みんなの生命科学』2016)

 

 ウイルスは生物に感染する際、感染する細胞の細胞膜とうまく融合することで細胞内に侵入します。本来であれば、寄生される側にとってウイルスは異物なので免疫によって排除されますが、このエンベロープ(とスパイク)の仕組みによってそれを回避しています。赤ちゃんも父親と母親の遺伝子を受け継いでいますが、母体にとって父親の形質は異物ということになります。なので本来であれば、母親側の免疫機能によって排除されます。しかしenv由来のシンシチンには免疫抑制作用があるため、実際には排除は起こらず、赤ちゃんも母体の中ですくすくと育つことができるのです。

 すなわち、こういったPEG10PEG11、シンシチンなどといったウイルス由来の遺伝子が、胎盤を発達させるためには必要不可欠だったということです。

 ちなみに哺乳類の胎盤は種によって非常にバリエーションに富んでいますが(真獣類の中でも胎盤の様式はさらに枝分かれしています)、それはPEG10PEG11Syncytinの挿入される(内在化される)タイミングや場所の違いによると考えられているそうです。

 

f:id:sibainu_08:20210628054334p:plain

                      (Imakawa et al., 2015)

 赤色矢印がウイルス由来の遺伝子(PEG10, PEG11およびSyncytin)が内在化された時期らしい。                          

 

 …さて、私はこの「動物の進化(胎盤機能の獲得)にウイルスは欠かせないものだった」という話を初めて知った時、その巧妙なシステムに感動すら覚えました。すげーぜ、生き物。

 で、なんでこんなことを書いたかというと、最近よく反ワクチン派の方々がワクチンを打ってはいけない理由のひとつに「ワクチンによって作られる抗体がシンシチンを攻撃する(そしてそれによって不妊になる)」と挙げていたからです。これがね、なんだかわからんけど無性に腹がたちました(完全なる私情でございます)。別にワクチンを接種するもしないも各々の自由だと思いますが、だからといって根拠の不十分(あるいは誤っている)な流説を広めて良いことにはなりません。

 おそらく新型コロナウイルスワクチンの発明当初は不妊になる可能性が懸念されたのかもしれませんが、その後、動物実験でもその内容は否定されていますし、実際にワクチンを接種した人の妊娠についても、不妊になりえる、ということは確認されていません(Shimabukuro et al., 2021)。これは、新型コロナウイルスSARS-CoV-2)の構造と胎盤のシンシチン配列が似ていることから「不妊のリスクがあるのではないか?」と考えられたようですが、その可能性も否定され、生殖能力や妊娠に影響を与える可能性は極めて低い、とされています(Kloc et al., 2021)。

 こういった論文は調べればいくらでも出てきます(しかるべき査読を受けているため、声が大きいだけの根拠不明の人の話よりかは少なくとも信頼できる、と私は考えます)。

 それらをわかりやすく説明しているサイトだってたくさんありますので(こびナビ等)、そういった正しいデータを基に、ワクチンを受けるかどうかを各々が考えるのが、理性的な生き方ではないかと思うのでした。

 

---

(参考文献)

・Ono R, Nakamura K, Inoue K, Naruse M, Usami T, Wakisaka-Saito N, Hino T, Suzuki-Migishima R, Ogonuki N, Miki H, Kohda T, Ogura A, Yokoyama M, Kaneko-Ishino T* and Ishino F*. Deletion of Peg10, an imprinted gene acquired from a retrotransposon, causes early embryonic lethality. Nat Genet 38, 101-106 (2006).l

・金児–石野知子 , 石野史敏. 哺乳類の脳機能進化とレロトランスポゾン由来の獲得遺伝子. ウイルス 第66巻 第1号,pp.11-20(2016)

・Suzuki S, Ono R, Narita T, Pask A J, Shaw G, Wang C, Kohda T, Alsop A E, Graves M J A, Kohara Y, Ishino F, Renfree M B and Kaneko-Ishino T. Retrotransposon silencing by DNA methylation can drive mammalian genomic imprinting. PLoS Genet 3, e55 (2007).

・Imakawa K, Nakagawa S  and Miyazawa T. Baton pass hypothesis: successive incorporation ofunconserved endogenous retroviral genes for placentationduring mammalian evolution. Genes to Cells 20, 771–788(2015)

・北口哲也, 塚原伸治, 坪井貴司, 前川文彦 著『みんなの生命科学化学同人(2016)

・Tom T. Shimabukuro, M.D., Shin Y. Kim, M.P.H., Tanya R. Myers, Ph.D., Pedro L. Moro, M.D., Titilope Oduyebo, M.D., Lakshmi Panagiotakopoulos, M.D., Paige L. Marquez, M.S.P.H., Christine K. Olson, M.D., Ruiling Liu, Ph.D., Karen T. Chang, Ph.D., Sascha R. Ellington, Ph.D., Veronica K. Burkel, M.P.H., Ashley N. Smoots, M.P.H., Caitlin J. Green, M.P.H., Charles Licata, Ph.D., Bicheng C. Zhang, M.S., Meghna Alimchandani, M.D., Adamma Mba-Jonas, M.D., Stacey W. Martin, M.S., Julianne M. Gee, M.P.H., and Dana M. Meaney-Delman, M.D., for the CDC v-safe COVID-19 Pregnancy Registry Team. Preliminary Findings of mRNA Covid-19 Vaccine Safety in Pregnant Persons. N Engl J Med, 384(24), 2273-2282(2021)

・Malgorzata Kloc, Ahmed Uosef, Jacek Z, Kubiak and Rafik M. Ghobrial.  Exaptation of Retroviral Syncytin for Development ofSyncytialized Placenta, Its Limited Homology to theSARS-CoV-2 Spike Protein and Arguments against DisturbingNarrative in the Context of COVID-19 Vaccination. Biology, 10(3), 238(2021)