ツイッターで書くには角が立つかもしれないこと
タイトルの通り。いや角が立ってもいいんですがね。2019年、個人的な思い出のことはあんまり覚えていないけれども、そういったいわゆる「うーん?」と思うことがいくつかあったので、吐き出そうと思う次第です。別に個人攻撃ではないのであしからず。あくまで行為や発言そのものについて思うことです。
・「知らない」ことでマウントを取った気になっているヤツが多すぎる
アイドルさんやタレントさんがネットニュースになった時に、そのコメント欄でよく見るアレです。「誰?」とコメントすることで「私が知らないこの人は有名じゃない」と暗に伝えようとしているわけです。そういうのを見るたびに「恥ずかしい人だなぁ」と思います。もちろん、知らないことは恥ずかしいことではありません。この世には知らないことの方が圧倒的に多いわけですし、自分の興味のないものだって山程あります。ですが、それを「誰?」と切り捨てる素振りを見せることで相手よりもマウントを取った気になる、あるいは他の第三者をそういう読み心地にしようとする魂胆は醜悪だし恥ずかしいことだと思います。知らないなら黙ってれば良いのに。無知をひけらかすのはお手軽マウントの手法にはなり得ないのです。
・謎のお金バラマキアカウントのRT
たまーに見る「フォロー&RTで抽選で◯◯名に現金をプレゼント」ってやつです。だいたいはネットで拾ってきた札束の画像が載っています。ほとんどは釣りアカウントですね。あ、でも最近は某人がやっていたりもしたか。いずれにしろ、それを脳みそゼロでRTしている人がたまにおりますが、それを見かける度にげんなりします。お金が欲しいのはわかりますが、それに乗っかることで自身の品格が落ちているということに気づいていないのでしょう。
・感動したことを伝えるために「泣いた」が使われすぎている。
あまりにも安く使われすぎていやしないか、と思います。この場合の「泣いた」は、実際に泣いていなくて、ちょっと感極まったぐらいでも、その感情の揺れ幅を大げさに言っている場合が多いと思います(想像ですが)。いずれにしろ、「泣く」ということがあまりにも頻繁に使われすぎていて、大したことなくなってしまっているのではないでしょうか。「泣いた」で伝わる感動の度合いも伴って小さくなっており、もはや「へぇ」ぐらいしか思われなくなっているのではないでしょうか。感動を表すには便利なんですけれどもね。
また、個人的にはやはり泣くことは恥ずかしいことだという気持ちがあるので、あまり自分は使いたくはない表現であったりします。「目頭が熱くなる」ぐらいが限度かな。まぁそんな事を書きつつ、感極まって泣きそうになることもあるわけですが…(おじさんになると涙腺って弱くなるね)。使いすぎは安くなるぞ、ということです。
・「#いいねをした人に一言」みたいなやつ
文言はうろ覚えです。もっと長かったかも。要は、いいねをつけてくれた人に対してコメントをするツイッターでよくみるアレです。これもなんだかもやっとします。いや、もやっととは違う感情ですね。これも別に好きな人はお好きにやれば良いと思います。あくまで私が思うだけのことで。
なにか言いたいことがあるならばそれを自由に書けばいいのに、あるいは直接言うかDMでも送ればよいのでは?と思います。ハッシュタグをかませることで「私が言いたいんじゃなくて、いいねをつけた人は書いて欲しいんだな、それなら書いてあげましょう」という保険を1ターンのなかに含めているのでしょう。いいねをする側も、「本当は私のことをどう思っているのか知りたいし教えて欲しいけどそれを尋ねるのは直接的すぎて恥ずかしい、でもあなたがハッシュタグをつけているならそれに乗っかろう」ということが「いいねボタン」を押すアクションの中に含まれているのでしょう。お互いに本当はめちゃくちゃ自分に興味を持って欲しい、でもその欲をオープンにするのは恥ずかしいから「#いいねをした人に一言」とつけることでハードルを下げ合っているわけです。とても微笑ましい光景だなぁ、と見かける度に思います。
・タレントさんの結婚
年末年始の声優さんの結婚ラッシュについてではなく、芸人さんの結婚についてです。2019年は南キャンの山里さんであったり、オードリーのお二人、そしてバカリズムさんが結婚を発表されました。私はそれがめちゃくちゃ嬉しかったわけです。もちろん、結婚することが人生の第一主目的、とは思いませんが、生き方を肯定してくれる相手を見つけていっしょになられた、ということはとても嬉しいのです。特にこの人達のラジオ番組を私は愛してきました(今なお続いているものは聴いています)。オードリーさんのオールナイトニッポン、山里さんの不毛な議論、バカリズムさんのオールナイトニッポンゴールド。それぞれの番組の色は違えど、ネガティブであったり偏屈さであったりナナメを笑いに変えてきた人たちです。学生時代、私はもちろん人間関係不得意だったし、色んな人間や色んなものにムカつきながら生きていきましたが(深夜ラジオリスナーって全員もれなくそういう境遇だと思っている節はあります)、それでもマイナスなことを、妬みや恨みを、この方々は力強く笑いに昇華していて、「めちゃくちゃかっけぇな!」と思っていたのです。そんなカッコいい人たちが結婚をされて、自分のことのように嬉しかったのです。特に若林さんの結婚発表をオールナイトニッポンで聴いていた時は涙が出そうでした。
それなのに、なぜかだか世間的には「結婚できたんだ」「結局普通の人間だったな」「こいつらが結婚できたなら世の中の男は誰でも結婚できる」みたいな声もあって、それがめちゃくちゃ腹が立ちました。たしかに「闇」を売りにした番組もあったしそういうイメージがあるのは仕方ないのでしょうけれども、ラジオをずっと聴いていると、この人達の視点や発言には必ずその人たちの理論があって正義があって、というのがわかります。そして歳を重ねられて立場も変わってきて、それに伴って価値観や視点の変化があるのも普通のことなのに、「いつまでそのイメージを引きずってんだ!」と思うのです。世間(の一部でしょうけれども)はいつまで女の子苦手芸人で人見知り芸人のイメージなんだ…と勝手に憤りを感じておりました。このへんの話は最近のオードリーANNであったり不毛な議論でも話されていましたが、勝手にイメージを作っている人たちが「あっち側に行ってしまった」とか馬鹿なことを言っているのでしょう。
あと、つい昨日の不毛な議論、若林さんがゲストで大変愉快な放送でした。「さよならたりないふたり」、最高に楽しかったなぁ、としみじみ感じました。
という戯言の羅列でした。もっと出てくるのでしょうけれども、書いていてぐんぐんと滅入ってきたのでこの辺で。