後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

駅散歩のすすめ

 地方にたまに遠征などに行く際、深夜の駅周辺を散策することがよくある。趣味と呼ぶにはむず痒く、ほんのちょっとした遠征の楽しみ、グリコのおまけ程度の楽しみなんだけれども(今のグリコにもおまけが付いてくるのかは知らない)、とにかく駅の周りを歩くことが好きだ。それも、地方都市だとなお良い。東京だとそんなに好きじゃないし(夜でも喧騒が続いていて怖いから)、ローカル駅すぎてもよくない(何もなさすぎて怖いから)。

 つい先日も学会で岩手に行く用事があったのだけれども、盛岡駅近くのホテルに泊まり、夜の1時半〜2時半くらいまでみっちり散策をした。もうそれだけでヘトヘトになっていた。地方まで来て何してんだ感は大いにあるのだけれども、それでも盛岡駅はそれに関してはとてもちょうど良い駅だった。

 別に、ただ散歩をするだけなんだけど、「地下道がここにつながっているのか」とか「駅のこっち側は栄えてるけど反対側だと全然だな」とか「松屋はどこにでもあるな」とか、そういうどうでも良いこと、すぐに飛散してしまうようなことばかりを思いながら歩くのだ。

 同じ駅周辺でも、昼よりも夜の方がやっぱり良い。昼は活気にあふれているというか、駅自体が心臓のようになっていて、絶えず人の流れが血液のようにせわしなく行き来しているので、そうやって阿呆面さげて散策するにはちょっと忙しすぎる。そういうのを許されない雰囲気があったりもする。だからこそ深夜は良い。人が絶対的に少ない。喫煙所で一服しているタクシードライバや、広場のスケボー青年の横を通り抜けてぐんぐん歩くことができる。

 BGMはあってもなくてもいいけれど、自分の場合は、アナログフィッシュ奥田民生エレカシだとちょうどよくそういう雰囲気を演出することができる(なんとなくわかるでしょう?)。エレカシの『今宵の月のように』を聴きながら歩いているときなんて、もう完全にイケメンだ。しかし、BGMは余計な記憶を呼び起こす可能性もあったりするので注意も必要である。ただでさえ深夜の散歩は心の抵抗力が落ちているので、感傷的な曲を聴くと一発で精神を持っていかれる危険性があるのだ。先日の盛岡駅ではそのせいで記憶のかさぶたを引っ返してしまい、あんなに意気揚々とホテルを出たのに、死んだような目をして帰ってきたものだ。フロント受付の人にも「あの人カツアゲにでもあったのかしら…?」と思われていないか少しだけ心配をした(多分思われていないだろうけれども)。もっとこう、アイドルちゃんのひたむきに明るい曲とか聴いてりゃ良かったなぁ、とか思ったものである。深夜徘徊BGMは諸刃の剣。