後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

百合とSF

 先日買ったハヤカワから出ている『アステリズムに花束を』を少しずつ読んでいる。この本は副題が『百合SFアンソロジー』ということで、その名の通り「百合」と「SF」のつながりをテーマにした作品を集めた作品集である。順番はバラバラに、知っている作者の順番で、だいたい半分くらい読んだだろうか。

 百合というのは、ひと昔前は「女性キャラクタ同士の恋愛感情を扱ったもの」と認識されていたものだけれども、ここ最近ではもっとテーマが拡大している。恋愛感情に限定されず、女性キャラクタ同士の微妙な感情のゆらぎをテーマにしたものを「百合」と呼ぶようになっている(と思う)。最近だと『リズと青い鳥』が凄まじい緊張感を持った百合作品であったのは記憶に新しい。そもそもが、「百合」だとカテゴライズすること自体が無粋である、という人もいるのかもしれないけれど、まぁ、それはいいじゃないの。

 で、そんな百合とSFをかけ合わせた作品群が特にここ最近、注目されつつある。もちろん、昔からそういった要素を取り込んだSF作品もたくさんあったけれども、ここ最近はその勢いが、なんか、すごい。ハヤカワが少し前に『SFマガジン』で百合特集を取り上げていたことも要因のひとつなんだろう。『ハーモニー』は有名だけれども(もちろん面白かった)、『スチーム・ガール』も『紫色のクオリア』も面白かった。アニメ作品だと『電脳コイル』や『serial experiments lain』が思い浮かぶ(年代がバレてしまいそうなチョイスだ)。特にここ最近のだと『最後にして最初のアイドル』は作者の百合を主題にしたその徹底ぶりに感嘆してしまった(人を選びそうな作品でもあるけれども)。

 そんなわけで、百合とSFをかけ合わせた作品は数多い。SFと言われると小難しい理論が出てきて敬遠されがちなのだけれども(実際はそうでもないのにもかかわらず)、そこに百合要素が乗っかることで、途端にとっつきやすくなるのである。そうなのだ。世間は百合を求めているのだ。SFは未知のものに触れる・未知のものを解明する、というのがテーマにあるが、そこに「百合」という、単に「好き」という言葉では表現しきれない女の子同士のこれまた未知(主人公にとってでもあり読者にとってでもある)でかつ繊細な感情のゆらぎがテーマに乗っかることで、凄まじい相乗効果となりうるのである。これはとても素晴らしいことだ。

 そして、そんなわけで(どんなわけで?)、そんな『アステリズムに花束を』を読んでるわけであるが、なんというかね、すごい。「百合アンソロジー」としているが、もっと拡張されたキャラクター同士、あるいは世界そのものとの関係性がテーマになっているのだ。百合といいつつ、登場人物が一人しか出てこない作品ばかりである(これは軽いネタバレかな?)。なんというか、とっても読み手を信頼した作品集だと思ったし、SFというジャンルに新たな可能性を指し示した作品集なのかもしれない。こんなあたたかな「ゆらぎ」が世界により広がってくれることを、願うばかりである。

 

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 台風が近づいている影響か、朝からずっと雨の続く一日でした。そのわりには、金融機関にいったりと色々と外を出歩く用事の多かった一日。それ以外は研究室に行く理由も今日はなかったので一日中家で論文を書いたりしていました。家にいても研究室にいてもやることはそんなに変わりません。実験が必要になる場合や大学の施設を利用する場合はそれこそ18時間くらい研究室にいることも少なくないですが、ここ最近は執筆作業が中心なので、家でパソコンに向かうか研究室でパソコンに向かうかの違いだけです。