後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

明日のたりないふたり

 6月2日。火曜日。 すっかり6月に入り今日も暖かい、というかすでに暑ぃ一日でした。半袖で過ごしております。週末にはタワレコに行って『君しか勝たん』を買って発売初週の売上に微力ながら貢献したり、火曜日には初めてオンラインで講義をしたりと、バタバタとした生活を送っております。初のオンライン講義といっても、ややこしそうな設定は全てやってもらったので通常の対面講義と変わらなかったですね。よゆーです。ただ、対面の講義の時にはパワポのスライドをスクリーンに投影してその周りを歩きながら喋っているので、カメラから外れないようにその場に留まっておく、というのが難しかったです。なんかじっとしてられないのですよね。

 さて、先日5月31日に配信ライブで行われた『明日のたりないふたり』をようやく見逃し配信で観ることができました。リアルタイムではその時間(18時半スタート)に帰ってこられなかったので、アーカイブを残してくれてて大変助かりました。

 「たりないふたり」というのは南海キャンディーズの山里さんとオードリーの若林さん二人によるユニットで、もともとは「潜在異色」というお笑いライブの中で生まれ、その後独立して番組やライブになっていったユニットです。これまでも『たりないふたり』や『もっとたりないふたり』が放送されたり、2019年には『さよならたりないふたり』で横浜でライブが開催されました(私もライブビューイングで観ました)。初期の頃は「飲み会が苦手」だとか「人とのコミュニケーションが苦手」だとか、いわゆる人として「足りていない」部分をテーマにした漫才であったりトークが行われていました。私は山里さんと若林さん二人からなるこのユニットがめちゃくちゃ好きでずっとファンだったのですが、そんな結成して12年となる「たりないふたり」がついに今回の『明日のたりないふたり』をもって解散となるということで、色んな感情を持ちながら恐る恐る観ました。

 で、そんなこのライブですが、もうね、凄まじかったです。めちゃくちゃ笑っていたのに、いつの間にか目頭真っ赤になっていました。ステージ上にはセンターマイク1本だけ置いてあるだけです。あとはひたすら2時間近く二人が漫才だけを繰り広げていくのですが、その中でもちろんたくさん笑わせてもらって、そしてそれを感動にまで持っていかれるというのは、ちょっとエゲツない体験でした。きっとそれは、その漫才の中でのお二人の言葉のやりとりが、血の通った叫びのような生の言葉だったからなのでしょう。生き様をさらけ出す行為が冷笑される時代に、生の言葉をお互い本気でぶつけ合う二人の姿が最高にカッコよかったです。

 「たりないふたり」が結成されて12年が経ち、その間にお二人ともMCを任せられるようになったり、プライベートでも結婚されたりと、様々な変化がありました。でも、世間からは「もうたりてるじゃねぇか」なんて言われるようになった今となっても、変わらない部分を持ち続けていたり、人に嫉妬する部分もあって、自身のスタンスに悩んだり、諦めたモノや諦められなかったりするモノがあって、そういうぐちゃぐちゃとしたモノをすべて吐き出すような漫才でした。圧巻でした。具体的な内容はネタバレになるので書けないですが、めちゃくちゃ面白い漫才なのにも関わらず、漫才の中でお互いに生の言葉をぶつけ合って傷だらけになって、でもその傷を見せつけることでさらに笑いを生み出してて、私はボロボロ泣きながら笑っていました。ほんとね、わけわかんねぇ感情。

 そんなわけで帰宅してから夜遅くに『明日のたりないふたり』を視聴したのですが、観終わってからも脳が熱くなって寝るに寝られなかったので散歩に出かけたのです。で、トボトボと歩いていたのですが、道すがらやっぱりメソメソしてきて「あ、やばい泣く」と思って公園に入りました。深夜1時頃にメソメソしながらベンチに座っている男、完全にやべー奴ですね。通報案件。

 ベンチに座りながら「たりない」ってなんなんだろうな、と1時間くらい考えていました(やっぱり通報案件ですね。あはは)。私も人とコミュニケーションをとるのが苦手だったり、自分に自信がなかったりするのですが、そういう生き方が社会に向いていないということも徐々に分かってくる年齢になりつつあります。もしかしたら足りている人ってのはその気づきも早いのかもしれませんね。社会を生きていくのに、たりてなさは圧倒的に足枷です。飲み会だって行った方が良いし、何をするにも自信のある人間のほうが人望も厚いことでしょう。なんせ説得力が違う。

 だから、社会に溶け込むためには、たりている人間にならなきゃいけないのです。しかし悲しいことに、そう簡単になろうと思ってなれるわけでもありません。それは自分が一番わかっていることです。だからせめて、自己暗示して自分がたりている人間だと思い込ませ、たりている人間に擬態するしかないのです。擬態して生きていくのが唯一の方法なのです。ですが、そうすると今度はその擬態すること自体がしんどくなり、角度が変わっただけで生きづらさは変わってないことにも気づきだします。愕然としますね。もう八方塞がりです。結局のところ「たりてなさ」って、捨てようと思っていても捨てられないままですし、もしかしたら心の奥底では捨てたくないものなのかもしれません。たりてないからこそ、たりている人間に嫉妬して憧れて努力できるのかもしれないですし。でも、やっぱりその自身のたりてなさに凹んだりもして。フラフラしてばかりで、時々そんなことを思って泣きそうになります。

 そんな己の「たりない」を肯定してくれるのが「たりないふたり」でした。「俺たちの方がたりてねぇぜ」と腕をまくってその傷を見せてくれて、「たりないままでも生きていけるんだぜ」と笑い飛ばしてくれるような存在でした。もう本当に解散しちゃうんだなーと思うと、わけわかんない感情がとめどなく溢れてきます。そんな今日このごろです。早朝に何書いてんだって話でございました。

 

f:id:sibainu_08:20210603041441p:plain

 


www.youtube.com

 

 

 

 

1年ぶり2度目

 5月27日。木曜日。朝からずっと雨の降っていた一日。すっかり梅雨入りし、洗濯物も外に干せない日々が続いております。

 ここ最近、各国立大学に爆破予告が相次いでおりますが、私の大学も例にもれなく爆破予告を受けたようで、その影響で大学付属施設に入ることができない一日となってしまいました。そのため研究室にも行けず、別宅にて過ごしておりました。去年も夏頃に爆破予告が日本各地の大学で相次いでいましたのでこれで二度目ですかね。ただでさえ、大学はコロナウイルス感染拡大防止策に追われているのに、勘弁してもらいたいものです(とは言いつつ私は大学の決めた判断に合わせるだけですが)。遊び半分で犯行予告メールを送っているのかもしれませんが、それによって他の人の時間を奪っているのです。警備員や警察を余計に労働させ、そして研究者や教員、学生は施設に入れなくなるのでその時間分動けなくなるのです。犯人が捕まったらその余計な労働時間や無駄にされた時間分を請求してほしいものです。それが他者の時間を奪うことなのですから。

 そういったわけで、プリプリと怒りながら過ごしておりました。まぁ別宅にいたとてやってることは変わりないのですがね(パソコンぽちぽち)。論文を書くのに新しくScrivenerというソフトウェアを導入しました。これまではEvernoteとWardを駆使していましたが、なんとなく気分転換です。で、入れたはいいものの、機能が多すぎて早くも挫けそうになっております。こんなにたくさん機能あっても使わねぇだろうなぁ…あと、せっかく長文を書く用のソフトを導入したのだから、短編小説とかも書いていきたいです。

 そういった一日でした。また、夜になってから思ったのですが、せっかく今日一日時間ができたのだからタワレコとかにでも行けばよかったです。気づいたときにはすでに閉店時間でした。一体いつになったら『君しか勝たん』買いに行けるのやら…

 仕方ないのでつい先程まで放送していたジャマラジ(『佐藤満春の邪魔しないラジオ』)を聴いていました。サトミツさんとゲストで出演された阿座上さんのトーク、最高に面白かったです(やはり日向坂46『君しか勝たん』特集でございました)。

 

チアリーディング

 5月26日。水曜日。つい先程までYoutubeで生配信していた『日向坂で会いましょう』のヒット祈願を観ていました。今回のヒット祈願は『日向坂46 5thシングルヒット祈願 ~世の中に元気を!~チアリーディングに挑戦!~』とのことで、一発勝負の生配信でチアリーディングをやるという、鬼やべー企画をやっていました。ただでさえリリス期間も相まって激忙しいでしょうに、えげつない…

 さていつもどおり研究室にいたのでそのまま作業をしながら観ていたのですが、いつの間にか配信画面に釘付け、目頭は真っ赤でした。ほんとね、やべーでした。おじさんだからね、ほんと、こういうのに弱いのよ…

 アイドルが何かをひたむきに頑張っている姿って、それだけで観ている人・応援している人のパワーになりえるし、それがアイドルという存在だと思っているのですが、チアを終えた後、自分の出来に満足いかなかったメンバーが悔しくて泣いている姿がね、凄まじかったです。正直、それが成功しようが失敗しようが、やり抜くその姿・その一挙手一投足にこちらは感動をえぐいほどもらうのに、そのままを良しとしない姿は「どんだけストイックなグループなんだ…」と痺れました。きっとそれが、命を削って人生を賭けて全力でアイドルをやっている人の生き様なのでしょう。

 それにしても、チアリーディングとアイドルって親和性がすごいですね。改めて感じました。それに今回の企画でグループがテーマにしていた「全力笑顔全力チア」という言葉は応援歌に定評のある日向坂46さんにピッタリでもあるな、としみじみ感じました。『君しか勝たん』もなんだか応援ソングのようにも聴こえてきます。

 あと、ヒット祈願直前の昨日に休養を発表されたみーぱん(佐々木美玲さん)に向けて、振り付けの一部がみーぱん仕様になっていたりと、エモポイントいっぱいでした。誰かが休んでいても、その場にいなくても、全員でステージに臨んでいるということは揺るがないという、その強い想いを目の当たりにしました。ほんと良いグループだな…

 そんな、ヒット祈願のチアリーディングでした。「忙しい時間ねぇ」なんて寝言こいてらんねぇな私も頑張らなきゃな…なんて思いました。

 

 

『どうする?どうする?どうする?』『世界にはThank you!が溢れている』『Right?』

 5月25日。火曜日。一つ前の記事が思いの外シリアス気味な感じになってしまったので、帳尻を合わせるために(?)軽めの(というかいつもの)話題を。

 明日5月26日は、日向坂46さんの5thシングル『君しか勝たん』の発売日で、今日はフラゲ日です。なのですが、CDショップに行く時間もなかったのでずっと先日公開されたMVを流しながら作業をしていました。せめて初週売上枚数には貢献したいので早めに買いに行きたいのところですが、一体いつのことになるのやら…(今週末でしょうかね、おそらく)

 そんな私事な話はおいといて、今回の5thシングルは表題曲『君しか勝たん』の他に、共通カップリング曲『声の足跡』、そして1期生曲『どうする?どうする?どうする?』、2期生曲『世界にはThank you!が溢れている』、3期生曲『Right?』のMVが制作されています。表題曲のMVについては少し前に書いたのですが、今回のね、期別曲のMVがどれもめちゃくちゃ良いのです。なのでそのことについて。

 


www.youtube.com

 

 3期生曲『Right?』は華やかで瑞々しく、フレッシュ感が年少組の3期生の雰囲気を表しているようで、とっても良いです。2番のサビぐらいで衣装ががらりと変わって花柄のワンピースになり、そして夕焼けに照らされながら踊っているところなんてエモです。どエモです。あとこれは個人的に思ったことですが、MVではフォトアルバムが増えていくような演出がされていて、それがひなのちゃん(上村ひなのさん。他の3人よりも少し前に日向坂に入った子)にお友達が増えて楽しい思い出もたくさんたくさん増えていっているような感じに読み取れて、胸にぐっときました。ほんと素晴らしい。

 


www.youtube.com

 

 そして二期生曲『世界にはThank you!が溢れている』。最初に道の向こう側から2期生が行進してくるところから「いったい何が始まるんだ!?」って感じで心をもってかれます。ピエロ風?のドレス衣装もめちゃくちゃ可愛いです。そして歌詞は身の回りのすべての人への感謝を歌った愛の曲で、なんというか生命力がえげつないです。THE 人間讃歌。そうそう!そうだよ!こういうのが世界には足りてねぇんだよ!と私は画面の前で叫びそうになりました。元気いっぱいの2期生のパワーを存分に食らわせられているような感じでございます。ほんと素晴らしい。

 


www.youtube.com

 

 3期生曲、2期生曲と順にMVがアップされ、ハードルが上がっていたところに1期生曲『どうする?どうする?どうする?』がアップされます(と言いつつ、私は全部アップされてから観ましたが)。これがね、すごい。さっきからそれしか言ってないですね。MVに竹中直人さんが登場しているとか、東村芽依ちゃんがセンター努めてるとか、言い出したらきりがありませんが、今をきらめくアイドルだって同じ人間で、同じ世界で同じ日常を生きているということを強く思わせてくれます。メッセージがなさそうに見えて、メッセージがないことがこの今の時世に対する特大のメッセージになっているのが凄まじいです。いうなればこれも人間讃歌。ほんと素晴らしい。

 

 …といった、それぞれのMVの印象でございました。本当は『声の足跡』についても書きたいと思ったのですが、曲が強すぎてそれだけで何千文字にもなりそうなのでまた今度にも。現在日テレ系でやってるドラマ『声春っ!』の主題歌なので、そのことと合わせて感想文を書きなぐりたいと思います(『声春っ!』、すげー良いドラマです)。

 

生物多様性と経済活動

 昨日「多様性と経済活動は相性が悪い」的なことをうっかり書き、そこから一日ぼんやりとそのことについて考えてしまったのでもう少しだけ(前も似たようなことを書いたかもしれませんが)。

 ここ数年耳にする機会もぐっと増えた「多様性」というワードですが、元をたどると「生物多様性」からきているのでしょう。生物多様性というのは読んで字の如くですが、地球には人間だけじゃなくて色んな生物、そして生態系がありますよーってことです。具体的に、生物の多様性に関する条約では、「すべての生物(陸上生態系、海洋その他の水界生態系、これらが複合した生態系その他生息又は生育の場のいかんを問わない。)の間の変異性をいうものとし、種内の多様性、種間の多様性及び生態系の多様性を含む」と定義されています。

 それが近年ではSDGsの目標なんかにも盛り込まれています(14番目や15番目の『海の豊かさを守ろう』『陸の豊さも守ろう』とか)。なぜ生物多様性を守らなくちゃならんかというと、森林資源や遺伝資源を保全・維持していくことが、持続可能な資源利用につながっていくということなのでしょう。例えば遺伝的多様性を保全していくと、それが人間の医薬品研究につながる可能性もあります。調べてみると、人類の医療を支える医薬品の成分には5〜7万種もの植物からもたらされた成分が利用されているそうで、まだ未発見な物質が現在解決できていない人類の難病の治療に役立つ可能性もあるわけです。それはだいぶ人間目線な理由かもしれませんが、まぁ人間だけの地球じゃないんだからできるだけ生物多様性保全していきましょう、という願いからできた目標なんでしょう。

 さて前置きと耳ざわりの良い話が長くなってしまいましたが、ここで話は少しだけそれます。私の住んでる地域は農家さんが多い地域で、この時期は田植えも終わり、植えられた稲もぐんぐんと育っています。田には水が張り、緑いっぱいの景観となっています。いわゆる「美しい自然」「自然豊か」という言葉(個人的にはあまり好きではない言葉ですが)からイメージされるような光景が家の窓からも外を眺めると広がっております。

f:id:sibainu_08:20210523223854j:plain

 私の家も長年農家を営んできたので見慣れた光景ではあるのですが、農業(に限らず家庭菜園などでも)ではたくさん農薬を使います。農薬を使うことによって、虫や雑草をたくさん殺します。それは農業の生産性を上げるためには避けては通れない行為です。生産性の良し悪しはその年の収益に直結しますし、それはすなわち、自らの生死に関わることですから。いかに効率の良く害虫や雑草を除去し稲を病気から守るかは長年の課題となっています。つまり、農業では生物多様性を排除し、一律で効率の良く目的の生産物(米や野菜)を生産することが目標であると言って良いでしょう。もちろん今では逆に無農薬であることに価値を持たせブランドとする農作物を作ってるところもありますが、やはり生産性は格段に落ちます。単に収量や質では太刀打ちできないから、無農薬であることを謳い、価値を持たせているのではないでしょうか(と私は思っています)。無農薬を全否定するつもりはないですが、やはり効率の良い方法があればそれを使うのが農業ではないかと私は思うのです。そうやって農業は進化・発展してきたのですから。

 また、わかりやすく農薬の話を書きましたが、これは別に農薬に限ったことであはりません。水田管理では効率よく水を田に流し、また排水させることが重要です。そのため、現在は田の周りにはコンクリートの側溝が張り巡らされている水田が多いです。一昔前まではコンクリートではなく土を直接掘ったような側溝だったのが、コンクリート製に置き換わっているのです。すると、それによってコンクリートの壁をよじ登ることのできないカエルの数が減ったのです。カエルの手足には吸盤がついているイメージだと思いますが、実は吸盤のついていないカエルも数多くいます。トノサマガエルやヒキガエルなんかは吸盤がついていません。そうすると、それまで土を掘ったような斜面であればよじ登ることができたそれらの種が、コンクリートの垂直の壁を登れなくなるのです。これも、いうなれば生物多様性を減少させているといえるでしょう。

 というように、実は生物多様性保全と農業の発展は相反する行為なのです。しかしそこで「じゃあ生物多様性保全するために昔ながらの方法に戻してください、農薬も使わないでください」なんて農家に言ったらきっとブチ切れられることでしょう(もしくは鼻で笑われるでしょう)。農家は生き物の保全のために農業をやっているのではありませんから。生物多様性保全は持続可能な開発のために重要なことだとは思いますが、そのために貧乏くじを引く人間が出るのは、それはちょっと変なのでは?と思います。なんだか先進国が散々これまで開発を行って環境を破壊してきて、急に「いやこれからは生物多様性が重要だ」なんて発展途上国に演説しているような構造に似ている気もしますね。

 なんとなく生物多様性保全に役立っていそうな世間のイメージの農業ですら、実際はそんなわけではいのですから(そもそも農業はもとの自然の状態を人間の手で破壊し加工してできた場で行っているのです)、他の産業もひっくるめると、いかに経済活動と多様性が相性の悪い組み合わせかわかるかと思います。

 そんなことを、ぼんやりと考えた一日でございました。

 

興味って捏造できない

 今週はずっと雨、こちらの地方もどうやら梅雨入りしたそうで、毎日ジメジメとした日々を送っております。先日の金曜日に発表モノが1本あって、その準備に追われるような一週間でございました(無事に終わってなにより)。

 芸能人同士の結婚がニュースとして賑わしておりましたが、そもそも芸能人に疎いので女優さんの顔がわからなく、我ながら「いやもうおじさんやんけ!」なんて思いました(男性側はさすがに分かった)。ですが、だからといってSNSやヤフーニュースのコメント欄に「誰?」などと知らないことをでマウントを取ろうとする馬鹿には成り下がらない程度のプライドは持ち合わせております。ああいったニュースはめでたいと思った人たちが祝えば良いのです。知らない人は黙っていれば良いだけなんです。

 こういった芸能ニュース(に限らないけど)に対する興味というものは、周囲から強要されて持てるものでもないのでどうしようもありません。学校などのコミュニティに属していればそれによって面倒な思いをすることもあったかもしれませんが。かと思えば、何に対しても関心がないというわけではなく、生きてきた環境や触れてきたタイミングによるものなんでしょうね。だから、逃げ恥を一回も観たことなかったり、オリンピックに微塵も興味がなかったり、鬼滅も読んだことなかったり、女優さんの顔をほとんど覚えていなかったり、逆に顔が全員識別できるアイドルグループがいたり、ラジオだけはずーっと聞いていたり、年に数回は必ず動物園に行ったり、全く仕事や研究とは関係ないのに急に宇宙の本を読み漁ったりするのでしょう。これらは自分についてですが、こういった人それぞれの好きなモノが多数派になるとトレンドになり社会現象なんて呼ばれるようになるのでしょう。

 こういった興味は、多数派になると強いです。なぜなら多数派は経済を回し金を生み出すから。なので社会もそっち(多数派のもの)に関心を持たせようとアピールするのでしょう。逆にマイナな趣味を持っている人はやはり社会からも無視されたり、ひどくなると「理解できない」なんて拒絶されてしまうのでしょう。ですが、マイナな興味、自分だけの趣味を持っている人は多数派にそれを強要することはありません(と、私は思います)。それは理解されないことを知っているし、自分だけが楽しければそれで良いということを知っているからなのでしょう。

 そう考えると、多様性と経済活動は相性がめちゃくちゃ悪いな、なんて思いました。結局それが言いたかっただけの記事でございます。

 

土地の名前

 今年の春先のこと、私の所有している土地を貸してほしいと頼まれました。頼んできた人は最近こちらの地域に引っ越してきた方で、家とは別に利用できる土地を探しているとのこと。私の家は昔から農家だったので(今はほとんど人に任せている)、農地は町内にもポコポコと点在しており、その中にはほとんど手をつけていない農地(いわゆる放棄地)もいくつかあります。そしてその放棄地の一つを貸してほしいとのことだったのだが、こちらとしては何にも使っていない土地だったので「あぁ、いいっすよ〜」という感じで簡単にOKしたのでした(賃借料も入るし)。

 そんなわけで簡単に契約書を作り契約をし「不労所得ゲットだぜ」なんてぬかしていた頃、役場の産業課から電話が。

 「〇〇さん(私)、□□の土地なんですけど、何に使われてます?」

 「はい!不労所得を得てます!」なんて答えることもできず、とりあえず詳細を聞くために役場へ行きました。

 すると、どうやらその土地の地目は畑で登録してあって、それを別の用途で使うためには地目変更・農地転用の手続きをしなくちゃいけないとのこと。そのまま使うと罰金やらなんやらが科せられるとのこと。おいおいそんな金ねーぜ。

 一応、その貸す相手の人は建物を建てるつもりはなく(そもそも地目が畑だから建築許可が下りない)、周囲をフェンスで囲いたいぐらいのことは聞いていたので、その旨を話しても「だめですね」の一点張り。融通聞かねぇ。

 私「じゃあその土地の一部に樹でも生やしとけば畑として利用できるのでは?」

 役場「いやそれも無理ですね」

 と話は平行線。「なんじゃいこっちは年間なんぼ固定資産税払っとると思ってんねん!」なんてセリフが喉元まで出かかったけれども、ぐっと我慢して「では農地転用の手続きをします」と引き下がることに。大人だからね。善良市民だからね。

 で、その申請手続をすることになったのだけど、この手続が本っ当にクソ面倒くさかった。申請書類自体は大したことはなく、法務局に公図や土地全部事項証明書をもらってくるのはネットで申請・郵送発送ができ、土地利用計画書(その土地をどう利用するのか、の計画書)は相手方さんにCAD使って作ってもらったので余裕でした。そうやって集めた書類をもって意気揚々と役場に再び出向くことに。しかしなんで役場は平日しかできんのかね。せめて電子申請かメールで申請書を送れるようにしてもらいたいところ。令和だぞ。

 「これで文句ないやろ?」という顔をしながら役場の担当者と対面すると「今回は仮申請になり、問題ないか県に協議をかける」とのこと。それもよくわからないのだけど、ここで突っかかっても心象が悪くなるだけなので我慢して(なぜなら大人だから)了承。結果は二週間後に連絡するとのことで、その日は退散しました。

 で、二週間後。役場から「問題ないです」との連絡。そこから本申請に移るわけだけど、そこで今度は農業委員会の担当委員さん2名から了承の署名が必要とのこと。なんだか面倒な予感がし始めたのはここからです。産業課がやってくれるのかと思ったらそんなわけはなく、連絡先だけ教えてもらい、あとはそちらでやってくれとのこと。はぁ〜〜〜〜〜〜。

 文句を言ってても仕方ないので農業委員会の担当委員さんに連絡し、土日(しか私が動けない)にアポをとって家を尋ねることにします。すると今度は、住んでいる地区の区長さんの了承をとってくれたらいいですよ、とのこと。なんだかたらい回しにされているような気もするけど、そもそもこういった農地転用の申請自体、前例があまりないので簡単にOKしづらいのでしょうね。何かあったときに「誰がOK出したのか」と責められることを心配されているのでしょう。農業委員会といっても組織しているのは普通の農家さんですしね。そんなわけで区長さんにまたアポをとって出向き、転用する土地の説明をし了承をもらい、改めて農業委員会の担当委員さんのところに行き、ようやく署名を貰うことに。いやーなかなか面倒だった。

 で、今度こそ文句ないやろ〜と思っていたところ、役場の産業課から、農地転用の申請とは別に土地改良区への申請も必要だとの連絡を受けます。なんそれ。いやなんそれ!「いやはじめに説明しとけや!」とブチギレそうになったのもぐっと飲み込み(大人だからね、飲み込むのには慣れているのです)、詳しい話を聞きに再び役場に行きます。

 私自身未だに把握しきれていないけど、どうやら農地転用の手続きの他に、土地を農地から除外するための手続きだとのこと。なんで担当が違っているのか全くもって理解不明だけど、そうなっているのならしゃーないので(日本人の悪いところ)、改めてそっちの書類も作ることに。そしてその申請に今度は土地改良区の担当理事2名の署名が必要とのこと。例によって役場からは連絡先だけを教えてもらい(本当なんもしてくれねぇのなぁ〜〜〜)、またまたそれぞれの人にアポをとって署名をもらいに行きます。

 そうやって署名を貰いに行ったりするだけで、トータルで2ヶ月ほどかかりました。で、なんとかそっちの書類や署名も集めて、これにてようやく完了。意気揚々と、そして産業課に対する静かな怒りを胸に携えながら産業課に集めた書類を持っていきます。すると今度は「転用申請前に土地の一部を掘削(フェンスを建てるための穴を掘った)しているので、始末書を作ってくれ」「あと申請書の一部を直してくれ」とのこと。「いやだから最初に説明しとけや!!!! んでなんのための仮申請だったんや今更!!!!!!!!」と、さすがに寛大な心を持った私も再度ブチギレそうになります。でも飲み込みます。飲み込みすぎて胃のサイズも大きくなりましたわ。

 いや、本当、申請書を持っていく度に平日の時間を潰していました。トータル7、8回くらいは役場に出向いたのではないでしょうか。なんだろう、暇だと思われているのでしょうかね。結局最後は役場に行くタイミングがなく、始末書やら修正した書類は郵送で送りつけましたが。

 そんなわけで、土地の名前ひとつ変更するだけなのに、その手続きがメタクソに面倒だったというお話でした。きっと申請の方法は自治体によりけりなんでしょうけれども、そりゃ日本各地で耕作放棄地が減らないわけです。