後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

 10月2日。日曜日。昨日「ようやく秋らしい涼しい季節になったなぁ〜」などとほざいていたのに、朝からやたら暑かった一日。30℃て。10月やぞ。

 昨夜からほとんど徹夜で試験問題を作ったり色々と作業をしているうちに朝になっていました。徹夜がダサいことだというのは重々承知ですけど、気がついたら朝になっているもんだから仕方ないのです。仕方ないので朝から映画を観に行きました。ここ数日、よく映画観に行ってんな。

 というわけで『マイ・ブロークン・マリコ』を観ました。

 原作漫画がSNSを中心に盛り上がっていた事は知っていたものの、漫画は未読で実写映画を観に行くという珍しい観かたをしてやりました(作品のさわりぐらいは知っていたけれども)。

 なので、映画と漫画でどれぐらい違いがあるのか(あるいはそのままなのか)は知らないんですが、ざっくり説明すると、主人公の女性が死んだ親友の遺骨を強奪して旅に出る、という話です(ざっくり書くとイカれた話だな)。

 そんな作品なのですが、シンプルに面白かったです。なんというか、人間ってあっけなく死ぬし、生きている者にとってはあっさり死なれた現実だけが残り続けそれ抱えて生きていかなくちゃいけないし、生者が死者にしてやれることなんて一つもないし、「何かやってあげられた」と思ってもそれは生者の思い込み・幻想にすぎないし、でもその幻想がたとえ自己満足だったとしてもそれだけで生きていけるという、そういった単純な事実が淡々と凝縮されたような作品でした。いやー凄まじかったな。

 あと、主人公が親友の骨箱を抱えて旅をしているのですが、そのシーンを観ながら、身内の葬儀の時に骨壷の大きさにも値段がついていることを初めて知って、それが無性に腹がたったことを思い出しました。骨壷が大きくなると当然それだけ焼いたあとの遺骨もたくさん入れられるのですが、その大きさを選んでいる時、なーんか腹がたったのですね。課金アイテムみたいに骨壷のサイズを選ぶという自分の行為に対してもですし、こんなところまで張り巡らされている資本主義にも。そういったつまんない記憶も呼び起こした作品でもありました。直接の作品の感想じゃないですけれども。

 ここ最近は国葬がどうだといった議論がされている(されていた)けれど、私はそういったセレモニーは不要だと考えていました。それは総理大臣だろうが女王陛下だろうが一個人だろうが関係なく、死者を偲ぶのに厳かな舞台は必要なものではなくて、各々が各々で弔えばそれで良いじゃないか、と思っています。セレモニーは生者のためのイベントなのですから。まぁこれはあくまで私個人が感じることで、政治レベルとか国レベルになってくるとそういうわけにもいかないのでしょうけれども…

 作品のテーマがテーマだけに、付随して余計なことばかり考えてしまいました。でもきっとそれが、この作品が持つ重力の大きさなのでしょう。

 あと最後に。主演の永野芽郁さんの喫煙シーンが良かったです。そのシーンを観られただけでも元がとれました。癖すぎる(最後の最後で台無しになる俗っぽい感想)。