後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

続アイドル・電気料金

 先日読んだ『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』の中で、『少女☆歌劇レヴュースタァライト』を題材に観客と演者の関係性について論じた章がありました。この『レヴュースタァライト』という作品を私は知らなかったのですが、わかりやすく説明すると「キラめき」というものが一貫したテーマとなっていて、舞台の上で少女たちが「キラめき」を生み出すためには、燃料が必要であるとのこと。そしてその燃料というのが、レヴューオーディションで負けた舞台少女たちの「キラめき」であるらしい(ちゃんと作品を観たわけではないので、この本から得た知識ですが)。すなわち、舞台で輝くために少女たちは人生をかけて命を燃やしているわけで、これは作品を超えて実際のアイドルにも当てはまることなのでしょう。現実のアイドルが競争相手のアイドルからキラめきを燃料にしているというわけではないと思いますが、実際のステージで輝くアイドルも、己の人生を捧げて命を削って存在していて、だからこそその姿に観客は感動しパワーを享受し、しんどい世の中を生きていくための糧になっているのだと思います。

 それではアイドル側の視点に立ったとき、どうしてそこまでしてアイドルを続けるかを考えてみると、この章の筆者(中村香住氏)は「キラめきを浴びてしまったから」と分析しています。「キラめき」というのが抽象的な表現かもしれませんが、ステージに立ったときに見える光景や観客からの視線・声援が、アイドルを続けるための原動力になり得るということを述べています。

 この「観客」と「演者」の関係性について、似たようなことをとある芸人さんのエッセイで読んだことを思い出しました。そのエッセイでは「辞めた芸人仲間が、芸人を辞めて会社に就職したあとでも、夜な夜な誰に見せるでもない漫才の練習をしてしまう」というエピーソードが紹介されていたのですが、それぐらい「笑い」という体験は強烈で、忘れられなくて、他に代用の効かないモノなのでしょう(と、そのエッセイには書かれていました)。そう考えると、年齢を重ねてもスッパリと辞められない芸人さんがいるというのは仕方ないものなのかもしれないな、と思うのでした(芸人さんの世界を詳しく知っているわけではありませんが)。おそらく、「ウケる」「笑いを取る」という事象も、前述の「キラめきを浴びてしまう」ということなんでしょう。ステージに立った者しか味わえない境地というか。そんなことをふと思ったのでした。

 

 さて、8月9日。火曜日(ものすごい長い前置きだ)。日本各地では今日も暑さ注意報が出ていたように、バクレツに暑い一日でございました。大学の運営側は相変わらず電気代をなんとか削減しようと躍起になっています。その理由に「昨年よりも〇.〇倍になっています!」と掲示されていて「国全体で電力不足言われてんのはわかるけど、そんな急激に上がるかぁ?昨年も激暑やったぞ?」と不思議に思っていたのですが、最近になってその理由がわかりました(というか教えてもらった)。

 どうやら大学が数年前に電気代削減のために新電力の企業と契約していたそうですが、それがこのご時世で色んなところで言われているように見事に撤退したとのこと。そして、改めて元の電力会社と契約し直したために、電気代が増えたということらしいです。すなわち「電気料金が昨年よりも何倍に増えた」というのは数字だけ見ればその通りなのですが、やや正確性に欠けていて、実際は元の電気料金に戻ったというのが正しいようです。その事実を明言せず「おめーら使いすぎだもっと節電しろ」というのはなかなか強引なやり方だなぁ…と思ったのでした。というかそもそも、発電所を持っていない新電力なんて、個人レベルならまだしも、リスク考えたらよく大学規模で踏み切ったもんだ…(で、結局ダメだったわけだけど)。それぐらい切羽詰まっていたんでしょうけれども…