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雑駁なあれこれ

ドキュメンタリーであるということ(日向坂46ドキュメンタリー映画第2弾『希望と絶望 その涙を誰も知らない』感想文のようなもの)

 日向坂46さんのドキュメンタリー映画第2弾『希望と絶望 その涙を誰も知らない』を観ました。


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 第1弾の『3年目のデビュー』は、そのタイトル通り、前身のけやき坂46ひらがなけやき)として活動が始まったものの最初はなかなか日の目をみることも少なく、その3年後に日向坂46としてデビューできて…というところを描いた作品でした。そして今回の『希望と絶望』では、その後順調に活動が忙しくなり目標であった東京ドーム公演もようやく予定されたけれども、そのタイミングでコロナ禍となりライブも休止や延期が続いてなかなか思った通りの活動ができなくなって、そのような状況の中で日向坂46のメンバーが何を思ってどう過ごしってきたか…というところを描いています。

 …と、あらすじを説明してしまうのは簡単なのですが、そのあらすじ以上に、切れ味が鋭くて、感想が難しくて、「そもそもドキュメンタリーって何なのか?」とずっと考えていました(1回観ただけではそれがわからなくてすでに2回観た)。この後もそういうことをダラダラと書いていきます。今更ですがネタバレ注意かもです。ネタバレもくそも、ドキュメンタリーだし表舞台の見えている活動がすべてではあると思うのですが、もはや本編で観た内容なのかそれ以外の媒体(インタビュー記事やラジオ)で触れていた内容なのかごっちゃになっているので。

 まず最初に『希望と絶望』という強めのタイトル。これまでの日向坂46というハッピーオーラなグループイメージとは遠いところにあって、尖っているというよりは、映画を観る人(おそらく大多数が日向坂46のファン)をかなり信頼しているタイトルのように感じました。1作目の『3年目のデビュー』では、アイドルとして活動していく中でしんどいこともあるわけだけど、タイトルに「デビュー」という一応のゴールというかグループが到達したところが含まれているので、観る側も安心して観ることができたのだと思います。わかりやすいシンデレラストーリーで、日向坂46のイメージともマッチしている部分も感じられるタイトルですし。しかし、「希望と絶望」というタイトルは、なにやら不穏さが漂っています(「絶望と希望」じゃなくて「希望と絶望」であることもあって)。まぁ実際に観てみると、そこまで構えて観ることもないことがわかりますが。ただ、その強いタイトルのせいで、ラジオなど色んな媒体でメンバーがそこをフォローすることになっているのも事実ですが…

 さて、本編。冒頭は日向坂46キャプテンの佐々木久美さんのインタビューシーンから始まるのですが、ここでいきなり映画を観ている日向坂46のファン、そしてこのドキュメンタリー作品の作り手にまでも向けて、鋭い言葉が突きつけられます。「この(コロナ禍から東京ドーム公演がようやく開催されるまでに至った)2年間のことは、『あの時は大変だったけど今はこうで良かったね』という物語として消化して欲しくない」。いやはや、やられました。もうね、このインタビューシーンだけで、脳天を揺さぶられるほど重たい先制パンチでした。

 コロナ禍のせいで予定されていた東京ドーム公演が休止となり、その間にメンバーの休業もあって、無観客ライブを経てようやく有観客ライブができるようになって久しぶりにファンとライブで対面できたこととか、休業したメンバーが戻ってきたことや念願だった東京ドーム公演がついに開催できるまでに至ったこととか、物語にしようとすればできるわけです。それもわかりやすくて誰もが共感できそうな。だけど、それを佐々木さんは拒むわけです。それは、私たちが愛し心酔し応援しているアイドルが、アイドルという存在以前に一人の人間であることを突きつけられているようでした。人間だからムカつくこともあるし人間だから泣きたくなることもあるし、人間だから上手くいかないことだってあるわけで。

 だけど、この『希望と絶望』というドキュメンタリー作品は、その拒んだ2年間を物語として綺麗にパッケージして映画として放映しているのです。ドキュメンタリーといっても、作品として世に出ている時点でやっぱりそこには作り手の意図があって狙いがあるわけです。そういう意味では、100%のドキュメンタリーって存在しないのでしょう。光り輝くステージの裏で流すアイドルの涙も、夏フェスで暑さにやられて車椅子で運ばれていくシーンも、スタッフに対する怒りの叫びも、映画を盛り上げるための装置として利用され消費されるのです。その光景を観ていると、だんだんとこれは観るべきではないのではないか…?という気にすらさせられます。サブタイトルの『その涙は誰も知らない』の涙は誰も知らないままの方がよかったのではないか?と思ってしまいました。そうやって結局物語として消費されてしまうわけで、でもそれがトップアイドルとして存在し続けるために背負わなくちゃいけないものだとしたら、それこそ我々ファンの想像を絶する世界だな、と改めて感じたのでした。

 その一方で、これまでにも書いたことなのですが、数多あるアイドルグループの中で特定のグループや個人を好きになる時、そのきっかけは歌がうまいとか可愛いとかパフォーマンスがすごいとか、表面に現れているモノなのかもしれません。でもそれは些細なきっかけに過ぎなくて、そのアイドルの生き様そのものであったり歩んでいる(歩んできた)ストーリーを知ることで、より深く愛するに至るわけです(それが「推す」ということかもしれません)。人間性、というと安っぽく聞こえてしまうかもしれませんが、その人間性にどうしようもなく惹かれるわけです。だからファンはドキュメンタリーを求めるのであって、そして需要があるからドキュメンタリー作品として世に出されているのでしょう。だからこそ、需要と供給の経済の狭間でのキャプテン佐々木久美さんの「物語として消費してほしくない」という言葉は重い。重たくて鋭い。

 めちゃくちゃ感想が難しい理由がそこにあるのです。「感動した」「めちゃくちゃ良かった」と感想を並べるのは簡単で、きっと私もその欲望に抗えないだろうしBlu-rayとか出たらファングッズとして買ってしまうことでしょう。でも、そこにはファンがアイドルに向ける愛だけでは片づけられない何かがあるような気がして「ドキュメンタリーとは何なのか?」ということをずっと考えていました(今も答えは出てないし多分出ない)。

 あと同時に「そういうこともあった程度に観てほしい」とラジオなどでメンバーがフォローしている意味もすごくわかりました。だってこんなこと考えない方が良かったですもの…

 あと、最後にちょっとだけ映画の中で思ったこと。まとめブログで映画の感想を眺めていると夏フェスのとあるシーン(炎天下の中やれるだけのことはやったのに、スタッフ陣から「がむしゃらが足りない」と言われてしまったシーン)がファンの間でほんのりと議論となっているようです。ですが、アイドルを愛するがゆえにその怒りに共感はしても、怒りはあくまで彼女たちのものであるわけで、そこに乗っかって同じように運営に対して怒りをぶつけるのは違うのではないか、と思ったのでした。彼女たちの大切な感情に、ファンだからといって押し入ってはいけないのです。

 

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 なんとなく感想文を書いているうちに変なテーマにぶち当たってしまったし全然話がまとまらなかったので、それをごまかすかのように、以下ゆるっとした『希望と絶望』おもしろポイント。

 

・明日のたりないふたりのTシャツを着ている加藤史帆さん

・YOASOBIのTシャツを着ている潮紗理菜さん

・格好が若い今野義雄さん

・久しぶりに復帰した小坂菜緒さんのジャケ写撮影で「美人さんになったねぇ〜」とおばちゃんみたいな会話を繰り広げる潮紗理菜さんと森本茉莉さん

・新3期生配属のシーン、今振り返ってみると本当に赤ちゃんみたいな山口陽世さん(かわいい)

 

 あと『希望と絶望』の素敵すぎたあるいは印象に残ったシーン(本当はこっちのことを主題に感想文を書けば良かったんだ…)

・『アザトカワイイ』でセンターに佐々木美玲さんが選ばれた時、みーぱんに駆け寄る高本彩花さん

・当時のしんどかったことを美化せずに今振り返ってもしんどいと言い切る加藤史帆さん

・ディスタンスとか関係なく復帰したての松田好花さんを抱きしめる加藤史帆さん

・『僕なんか』でセンターに選ばれた小坂菜緒さんの手を握る佐々木久美さん

・東京ドームライブ直前の髙橋未来虹さんの「みんなが菜緒さんを待っている」の言葉

・最後のインタビューシーンで、「振り返った時に笑い飛ばせたいと、いちメンバーとして思います」というキャプテン佐々木久美さん。

・映画ラストの渡邉美穂さんと佐々木久美さんの会話

 

 という感想文でございました。変なことをウダウダと書いてしまいましたが、素晴らしく素敵な映画であったことは間違いないです。あと、とにかく佐々木久美さんのキャプテンシーというか人間力が凄まじかった。