後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

推し、燃ゆ

 つい最近、芥川賞を受賞された宇佐見りん氏の『推し、燃ゆ』を読みました。いつもならば「〇〇賞受賞作」などと帯にでっかく書かれている本は手が出しづらく、たとえそれがもともと読みたい本だったとしても、すこし時間が経ってから読むようにしています。ですが、この『推し、燃ゆ』はなんとなく「今読むべきだな」と思って読みました。それにしても珍しく純文学作品です。いつもはSFばかり手を出していて、純文学はほとんど読みません。作品にあてられて精神が削られることが多いので。

 で、読んでみたわけですが、案の定削られました。ストーリーはタイトルのまんまで、推しのアイドル(男性アイドル)がファンを殴り炎上してしまって〜という話なのですが、やはり「アイドル」という存在を一度でも応援したことのある人間にとっては、他人事ではないような薄気味悪さが残されたような読後感でした(そういう部分も評価されての受賞なのでしょう)。

 アイドルを推す・応援する理由ってのは人それぞれですが、アイドルがステージで歌って踊っている姿、頑張っている姿、キラキラしている姿に生きる活力みたいなものを与えられるような気持ちになるのは、アイドルファンにはおそらく当てはまる事でしょう。特に、生きていく上でなかなか自分のことを肯定できない人間、自分の内部でエネルギーを生み出せない人間にとってそれは絶大なエネルギーを与えてくれます。アイドルが存在しているからこそ、そのアイドルが存在してくれているこの現実世界そのものもひっくるめて肯定でき、生きていけるのです。自分の人生がたとえしんどいものだったとしても、そういう綺麗な存在がいてくれるからこそ、なんとかなやっていけている。そういう人ってのは少なくないと思います。

 そういったように、アイドルの放つエネルギーを摂取して生きていくことそれ自体は別に誰にも迷惑をかけてもおらず、悪い生き方ではないと思います(私も好きなアイドルがいたりするので、そう信じているだけかもしれませんが…笑)。

 ですが、そういった存在を過剰摂取し依存しっぱなしになってしまうと、自己でエネルギーを作り出せない分、その対象に何かがあったときに自分もその影響を受けてしまうことでしょう。例えばそれがアイドルの卒業といった類のものならば、まだ綺麗な方で、もちろんそれ自体は推している人間にとってはキツイ出来事でもなんとか乗り越えられる可能性があることでしょう。ですが、例えばこの物語に描かれているようなスキャンダルだとか炎上だとか、そういったネガティブなものだと、かなり状況はしんどくなります。炎上まではいかなくとも、アイドルの発言や行動が自分にそぐわないものだと、ファンだったはずなのにアンチに成り代わってしまうことだってあることでしょう。私自身、そういう人をちょくちょく目にしてきたこともあります。

 それは、自分の理想のアイドルは自分の理想のままでいてほしいという願望の行き過ぎが原因なのでしょう。アイドルを介して世界を綺麗なモノとして肯定できていたからこそ、そのアイドルの炎上によって自分の綺麗な世界が壊されてしまったと解釈してしまうからこそ故の悲劇にほかなりません。炎上に乗っかってアイドルを叩くことなんて誰も得しないし醜い行為かもしれませんが、世界を壊された人間にとってはそんないい子ぶったことも考えられない状態に陥っているのです。そう考えるとなおさら悲しいし、しんどいです。

 だからこそ、アイドルファンはできるだけ推しには綺麗なままであってほしいと祈るのでしょうし、週刊誌やネットニュースの記事タイトルに過敏になってしまうのでしょう。たとえアイドルが炎上して、それが原因で引退してしまったとして、その後に残されるのは自分の彩度の失われたしんどい現実世界だけなのですから。

 そんなことを感じた作品でした。なんか達観したようなことを書きましたが、私も好きなアイドルグループのメンバーがスキャンダルに撮られた際、大人ぶって「まぁまぁ」なんて思うようにしましたが、本当に最初に感じたことは「推しの〇〇じゃなくて良かった…」でしたから(あまりの己のさもしさに自分が嫌になりました)。そういった意味でも、この本はすべてのアイドルファンに向けた絶望と呪いの書でもあるのでしょう。いやはや、抉られたなぁ…