後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

まったり

 5月1日。日曜日。朝から雨だった一日。世間ではゴールデンウィークに突入したそうですが、今年は雨が多いですね。まぁ、そういう年があっても良いじゃないですか。気温も低い日が続いていて、朝晩は冷えます。30℃近くまで暑くなる日に比べたらだいぶマシですが…

 さて連休ですが、特にどこかに出かけるという予定は今の所ありません。あるとしても連休を外して出かけるようにしています。どこも混んでいますし。研究室で過ごしたり家で過ごしています。

 家にいることを「家でまったりと過ごす」と言ったりしますが、よくよく考えると「まったり」ってなんなんでしょうかね。「まったり」にはなんとなく粘度が高いイメージがあるので、家でゴロゴロしたりゆっくり過ごす的なニュアンスなのでしょうか。しかしこのご時世、リモートワークも増えていて、家にいても忙しく働いている人だって多いでしょう。なのでこの「家でまったり過ごす」って言葉はそのうち死語になっていくんじゃないかな、とふと思ったのでした。

 

 最近読んだ本の話。今週は高島雄哉『エンタングル:ガール』、マルクス・ガブリエル『わかりあえない他者と生きる』、永野裕之『教養としての「数学Ⅰ・A」』を読みました。小説1冊と新書2冊。良い感じのペースです(良い感じのペース?)。

 

 高島雄哉『エンタングル:ガール』は、本格SFアニメ作品『ゼーガペイン』の前日譚というか番外編らしい。そもそも私は『ゼーガペイン』を観たことがなかったので、単行本が出た時に「どうすっかなぁ…」と思っていたのですが、悩んでいるうちに文庫まで出てしまったので、結局アニメを観ることなく読んでしまったのでした。高島雄哉氏の作品では『ランドスケープと夏の定理』が面白かったのでほぼ作家買いの感覚です。で、『エンタングル:ガール』。前半の日常パート?はやや退屈でしたが、物語(というかその世界)の核に触れてからは面白く読めました。シュタゲに似ているかも(日常パートがやや退屈だけど…ってのが)。AIやドローンを使ったガジェットがたくさん出てきて、そこは読んでいてワクワクしました。しかし、一見、平和な日常ものの作品のように見えて(表紙絵にもその意図があったのでしょう)、あらすじに<世界のほころび>なんて不穏なワードが書かれていたら、「あぁ、なるほどきっとああいう展開なんだろうね」ってその時点で読めてしまうよなぁ…。実際にその展開でしたし。それが小説作品の難しいところかもしれないですね。表紙絵、帯、裏表紙のあらすじなどのヒントが多すぎる問題。まぁ、それらを抜きにしても面白かったです。いい加減『ゼーガペイン』も観なくちゃなぁ…

 マルクス・ガブリエル『わかりあえない〜』は、著者の『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)を昔に面白かった記憶があったので、衝動買いでした。しかし今回の本では「なるほどそうだよね」と納得できる部分と、「本当にぃ〜?」と納得できない部分がちょうど半々って感じでした。あと、著者の写真が表紙にでっかく載っている新書って、それだけで胡散臭さが倍増する気がします。書店で平積みにされている著者写真どーん本ってだいたい胡散臭いでしょう?(個人的な偏見です)だけど、それなりに効果があるから出版社も続けているんでしょうね。

 『教養としての「数学Ⅰ・A」』は、暇つぶし用に買ったやつ。時々数学をいじりたくなってこういう本を読み漁っているですが、個人的にはこちらはイマイチでした。著者の意図(「数学」を単なる受験勉強じゃなくて、論理的な思考力を身につけるツールとして学びましょう)は理解できるものの、新書サイズで数学Ⅰ・Aの範囲をすべて網羅しようとしていて、結局どれも浅い話で終わってしまっていた印象です。もっと絞った方が良かったのではないかと。あと副題の「論理的思考力を最短で手に入れる」って、結局著者の意図とはずれた受験テクニックみたいな印象をもたれてしまうのでは、と思ったのでした。たぶん編集部が悪い(勝手な想像)。

 

愛のシロノワール

 シロノワールは愛でできている。愛でできているとしかいいようがないだろう。

 東海地方に住んでいるため小さい頃からコメダ珈琲が近所に何軒かあり(といっても車で行く距離だが)、よく通っている。なかでもシロノワールが一番好きだ。ときどきネットニュースで逆写真詐欺みたいな感じで取り上げられる馬鹿デカパンメニューじゃなくて、シロノワールなのだ。温かいデニッシュのパンに冷たいソフトクリームがかかっていて、そこにさらに蜂蜜をかけて食べる、コメダ珈琲の定番メニューのアレだ。何がいいって、まずその見た目が素敵だ。一見、家でも作って食べられそうで、でもギリギリそうはいかないだろうそのフォルムが素晴らしい。最近読んだ最果タヒ氏の食べ物エッセイ『もぐ^∞(もぐの無限回乗)』では小倉ノワール(パンにさらにあんこが挟んであって苺ソースもかかってる期間限定メニュー)のことが書かれていて、そこでは「「友達の実家に遊びに行ったらお茶菓子として出てきた、友達の母親オリジナルのスイーツ」感が強くて、しんみりとしてしまった」と表現されていた。言い得て妙というか、納得してしまった。

 だけど私はシンプルなシロノワールが好きなのだ。期間限定の変わり種シロノワール(フルーツソースがかかってるやつとか、チョコが乗ってるやつ)ではなくて、定番メニューの素のシロノワールが好きなのだ。期間限定のシロノワールも何度か食べたことがあるし、食べる度に「美味しい!」とは思うものの、同時に「期間限定だから美味しいと思っているだけではないのか?本当に自分は期間限定のそいつが食べたかったのか?」と不安になるのだ。シンプルシロノワールだけが、想像通りの美味しさと想像通りの満足感を提供してくれる。それがとてつもなく心地良い。

 この「想像通りの満足感」というのがたまらなく愛おしくて、無性に欲する日が時々やってくる。もはや死語となってしまった「実家のような安心感」に近い感覚だろう。何か良いことがあった日に食べればちょっとしたご褒美になり、無性に腹の立つことがあった日に食べれば「まぁ、しゃあないな」という気持ちにもさせてくれる。しかもどこの店舗でも同じ味で待っててくれている(当たり前だけど)。そういう懐の深さを兼ね備えている、それがシロノワールなのだ。こんなの愛としか言いようがないだろうが。その優しさに泣きそうにすらなる。

 だから私はシロノワールがたまらなく好きなのだ。そして想像通りの満足感を享受する場所としてコメダ珈琲は最適地だ。だからみんな朝からコメダに通っているのかもしれない。想像通りの満足感を欲する人々が集まる、それがコメダなのだ。

 そんなステキなシロノワールなのだけど、一つだけ問題(というか疑問)がある。シロノワールには飾りのような小さなチェリーがついているのだけど、あれがヤッカイなのだ。小さいから一口で食べられるわけだが、当然中には種があって、その種だけを口から取り出している自分がなんとも滑稽な気がするのだ。客観視してしまうと。あの瞬間、自分はものすごく隙だらけ(そして情けない顔をしている)だろう。でもこれはシロノワールに限ったことではなくて、例えばインスタ映えするようなカラフルパフェを食べるイケイケ女子(イケイケ女子て)も、同じようにチェリーを食べるときは種だけを口から取り出してんのだろうかと疑問に思う。そんなことを、シロノワールを食べる時に思うのだ。でも、その情けなくて滑稽な自分も受け入れようじゃないか。それが「想像通りの満足感」を享受するのに必要ならば。

 

 散々シロノワールのことを書いてきたけど、食べるのは正確にはシロノワールよりも一回り小さいミニシロノワールだ。もしも一人でシロノワールを平らげることがあったら、たぶん、その愛でおかしくなる。

 

授業・パンク・会見

 4月27日。水曜日。午前中は雨が降っていたものの、午後には止んで以降ずっと曇り空だった一日。月曜日には気温が30℃近くまで上昇し、「夏やんけ!」とうなだれていたのですが、今日は比較的過ごしやすかったです。

 さて、今年度の講義が今年も3週間ほど前から始まっています。基本的に講義のスライドや資料は毎年使いまわしているのですが、生物学系の研究結果等の情報が更新されるたびに微妙なマイナーチェンジを毎年繰り返しています。その程度(最新の情報にアップデートすること)は教える側の義務だと心得ていますが、世間には「いったい何十年前の情報だ…!」という内容を平気な顔をして学生に教えている人がいるのも事実で、まったくもって困りものです(誰に対する不満?)。

 夕方頃、車に乗ろうとしたらパンクしていて、怒り狂いました。大学構内の駐車場で

「なんじゃい!」と叫んだとかそうでないとか。激萎えです。スペアタイヤも積んでいなかったのでそろりそろりと最寄りのガソリンスタンドまで運転し、直してもらいましたが… 自動車に乗るようになって10年ほど経ちますが、実は初めてのパンクでした(ラッキィだったのでしょう)。なので、いったい修理にいくらかかるかもわからずヒヤヒヤでした。で、直してもらったら2500円ほどで「あ、なんだそんなもんなのね」と一安心しかけましたが、よく考えたらパンクしなかったら払わなくても良いお金なので、やっぱり怒り狂いました。ぶり返して激萎え。自転車のパンク程度だったら自分で直すのですが、自動車のタイヤとなると流石にちょっと怖いですしねぇ…

 パンクを直してもらっている間、待合室のテレビで先日起きた船の事故についての謝罪会見をやっていたのですが、ああいいうの、いい加減もうやめたら?なんて思います。少なくとも、カメラを入れての会見をする意味ってなんなんだろうな、と思うのです。関係者や遺族に向けて事故の状況説明や今後の改善策を提示する必要はあると思いますが、それをテレビで流すのはもうパフォーマンスでしかないでしょう。質問する記者の中には、改善案なんて別に興味なくていかに国民が怒るような映像をとれるか、に注力している人もいる始末ですし、「謝罪会見」というもの自体がエンタテイメント化しているように感じます。どうせ今回の会見を種に、明日の朝の情報番組では「あれはどうたらこうたら」みたいな怒り合戦が繰り広げられて、それを見た視聴者がさらに怒り合戦をする未来が想像できます。よく使われる便利な言葉「国民が納得しない」「視聴者が納得しない」の「国民」や「視聴者」の中に勝手に入れないでほしいな、と思うのでした。今回の事故の会見に限ったことではありませんが… 

 

換気・散髪・読書

 4月24日。日曜日。久しぶりに朝から一日中雨が降っていました。せっかくの日曜日なのに…と一瞬だけ思いましたが、よくよく考えたら大して影響のない生活を送っていたので関係ありませんでした。危なかったー。

 久しぶりに実家に戻り、掃除をしたり、窓を開けて空気の入れ替えをしました。実家は誰も住んでいませんが、月に1回くらいは換気をするようにしています。人が住んでいない家なんてみるみるうちに劣化していくので延命処置にしかなりませんが…

 あとは髪を切ったぐらい。ここ数年は自分で髪を切っています。店に切りに行くのが面倒くさくて仕方ないのです。予約の電話をするのも面倒くさいし、通っていた店の駐車場が狭くて止めるのも面倒くさいし、終わるまで1時間ぐらい黙って座っているのも面倒くさくて、その結果自分で切るようになりました。自宅でできるし20分くらいで終わるので非常に手軽です。月1くらいの頻度で自分で切っているので、腕もみるみる上達しています。アベレージ70点。多少変になっても整髪料で整えればなんとかなるラインを見極めました。ごまかしのセルフカット術です。

 

 柴田勝家『スーサイドホーム』と宮坂昌之『新型コロナの不安に答える』を読みました。今週は小説1冊と新書1冊。私的にはこれぐらいのペースが一番程よいです。

 柴田勝家氏(武将じゃなくて作家の方)は完全に作者買いでした。柴田勝家氏(武将じゃない方)は過去にSF作品で何冊が出されていて(『ニルヤの島』『ヒト夜の永い夢』『アメリカン・ブッダ』など)、そのどれも面白かったので信頼している作家さんの一人です。民俗学民間信仰などを取り入れたSF作品であることが特徴なのですが、今回はSFではなくホラー作品。氏の得意とする民俗学をバックグラウンドにおいたホラーミステリーとなっていますが、よく考えたらそもそも民俗学って和製ホラーと相性いいですものね。呪術とか祟りとか霊とか新興宗教とか。ホラーの小説は普段は全く読まないのですが(映像のほうが面白いから)、面白く読めました。シリーズ化しそうな雰囲気。しかし柴田勝家氏(武将じゃない方)の長編SF作品もそろそろ新作が読みたいな、とも思いました。短編SFは色んな文芸雑誌で寄稿されていますが…

 『新型コロナ〜』は最新の情報を整理するために読みました。新型コロナウイルス関連の情報は、気になったものは発表された論文なども含めて目を通すようにしていますが、さすがにすべては網羅しきれないので定期的にこういった形で情報をアップデートしています。この「自分の中の情報をアップデートする、整理する」というのは大事なことで、情報番組のコメンテータでも平気な顔で一昔前の情報で議論をふっかけようとする人がいるので、気をつけなければなりません。どう気をつけるかというと、自分から情報を知りにいくしか方法はないのでしょう。

 本の内容は、グラフが多くて一般向けにもわかりやすくまとまっていた印象でした。世間、特にSNSで回ってきそうな新型コロナウイルスの噂に対して丁寧に修正しつつ、かといって言い過ぎない(〇〇だから大丈夫、など)ように気をつけて書かれているように感じました。面白かったのは、本の中で「医者でも『コロナは平気、ワクチンは不要』と声高に主張する人もいる」的なことが書かれていて、名前は伏せられていましたが「あぁ、あの人のことだろうな…」と一発でわかったこと。

 

 そういう日曜日でございました。

朝散歩・休日・BRODY

 4月23日。土曜日。昼間だけでなく、朝晩も暖かかった一日。これでもう完全に春になったわけです(ようやく)。今日は研究室にも行かず一日家でゆっくりと過ごしました。しかし休日らしい過ごし方をしようと思っていても朝6時には目が覚めるようになっているため、そんなに活動時間は変わりません。目が覚めてしまったので仕方なく朝散歩に出かけてみたら(天気も良かったので)、犬のリードをハンドルに結びつけ、タバコの煙をふかしながらチャリを漕いでる婆さんと遭遇しました。一度にたくさんのことをやろうとしすぎだぜ婆さん。しかしその姿になぜだかちょっとだけ元気ももらったのでした。

 日中は本を読んだりラジオを聴いたり、すこしだけ作業をして、あとTverで観られなかった番組を観たり。こうやって羅列してみるとクソ休日って感じですね。あはは。

 

 あとは、強いオタクなので巷で話題のBRODY 6月号もちゃんと買いました(買ったのは金曜日)。

 こちら、先日開催された東京ドームライブを経て1発目の紙面でのメンバーインタビュウ等が載っているため、発売前から注目されていました。ネット書店では情報解禁後数日でどこのサイトも在庫切れになり、実店舗でも某書店ではwebで全国の店舗の在庫状況を調べられるのですが、発売日当日からみるみるうちに在庫が無くなっていくのでした。

 まぁ私は地方在住なので仕事を終えてからで買えましたが。ふふん。唯一の地方在住オタクの強みでしょう。狙い目は駅から遠く自動車じゃないと買いに行けない場所にあるような大型書店。まぁBRODYは電子書籍版も売っているので、最悪の場合、そっちで手に入れればいい話ですがネェ…

 同じような話で2020年半ばに発売されたB.L.T.(アイドル雑誌)で『日向坂で会いましょう』が特集された号があったのですが(これも争奪戦になっていた)、そちらは電子版の発売もなく、出版社も雑誌では異例の重版がかかる事態になっていました。私はもちろん買えましたが。地方在住なので。ふふん。

 

※参考:B.L.T. 2020年9月号。本当に即完だった。

 

 さて話は戻ってBRODY6月号。といっても具体的な内容は書けませんが、インタビュウも掲載写真もどれも素晴らしかったです。蘇るライブの景色、爆速のまなふぃ。

 あと、読んだ人だけが分かるだろう話を一つだけ。東京ドーム特集とは別で日向坂メンバーのグラビア写真が掲載されていて、そのテーマが「和」になっているのです。そこには濱岸ひよりさんがキメ顔で囲碁を打ち込んでいる写真があるのですが、その写真を見て「本来の囲碁のルール知らなそう。ヘンテコルール編み出してそう」と思ったのでした。

 

またもや我々はエモ死させられたのであった(日向坂46『飛行機雲ができる理由』MVの感想文)

 先日の4月19日のこと。日向坂46さんの7thシングル『僕なんか』のカップリング曲『飛行機雲ができる理由』のMVが公開されました。もうね、タイトルが発表された時点で「あ、これはやべぇ曲だわ」って思いましたね。絶対エモい曲。そんなんわかってんだからこっちは。なめてもらっちゃ困るっつーの。MV公開前からクリエイタチームもガンガンにハードルを上げていましたし。

 で、当日になってついにMVが公開されたわけなんですが、予想ド的中の素晴らしい作品に仕上がってやんの。ふざけやがって。上げたハードルをジェット機で丸ごと吹き飛ばしていったような感じ。私は深夜3時頃にヘトヘトで帰ってきてから拝見して、あやうく骨も残さず浄化されるところでした。

 


www.youtube.com

 

 まるで70年代のようなレトロな雰囲気漂うこのMVのストーリィは、陽だまり寮という名の寮に住んでいるメンバーたちが、寮が 取り壊しになるということで最後にお別れ会(ダンスパーティ)を開く、といった内容。言葉で説明しちゃうとものすごくシンプルなんですけど、解像度が凄まじい。いや見てもらった方が早いんですわこれ…

 7thシングル表題曲『僕なんか』のMVでは、メインテーマを「小坂菜緒さんの復帰」というところに置きつつも、「自分で(僕なんか、と)構築してしまっていた世界を自らの手と仲間とでぶち壊し、新たな世界へ一歩踏み出す」みたいな普遍性も残していたように感じました。そのような普遍性を残すことはファンだけでなく大衆にヒットするためには必要なことだと思います。だから『僕なんか』が表題曲であるわけで。まぁそもそも御託はどうでもよく『僕なんか』もMVも曲もとんでもなく素晴らしいのですが…

 

sibainu08.hatenablog.com

(以前に書いた個人的な感想)

 

 で、今回の『飛行機雲ができる理由』では、そんな普遍性を完全に取っ払って、これまで日向坂46というグループを愛しメンバーを愛してきたファンに向けた、まるでご褒美のような作品だと感じました。これまでの歴史があって、念願だった東京ドーム公演を経て、卒業を発表するメンバーもいて、そして新たに4期生が入ってくる、今のこのタイミングでこの22人のメンバーがいてからこその。

 そもそも「寮」という設定がエモいです。第一エモポイントです。通常、寮というのは学校に通うために一時的に身を置く環境であって、時間が経てば卒業する人もいるし、また新たに入ってくる人もいるわけで、そういう流動的な環境なわけです。「アイドル」という存在も同じで、どれだけファンが愛していても、いつかは卒業することが確定しているわけです。だからこそ尊くて美しくて、その生き様やステージで輝くパフォーマンスにエネルギーをもらうのかもしれませんが。

 このMVでは寮生が卒業するのではなく寮自体が取り壊しになる、というストーリィになっているのですが、言わんとすることは同じでしょう。そうやってグループ自体、変化し続けるものです。だけれども、このMVで私が一番「こんなん素敵すぎやろ…」と思ったのは、終始メンバーずっと笑顔なところなんですよね(これ!声を大にして伝えたいの!!!)。今まで暮らしてきた「陽だまり寮」が取り壊しになると知っても、そこで悲しみに明け暮れるのではなく、じゃあ最後にと、お別れ会としてダンスパーティをやってしまう。こんなんめちゃくちゃ日向坂46やん。これこそ日向坂46やん。そしてもちろんMV自体はフィクションのストーリィなんでしょうけれども、同時に、直近で渡邉美穂さんが7thシングルを持って卒業を発表された今の状況じゃないですか。まさに。当然、未だにそれを受け入れられず寂しく思うファンもいるでしょうし、渡邉さんが卒業され、そして4期生が入ることでグループ自体が変わってしまうかもしれないことに戸惑いを感じるファンだっているかもしれません。ですが、メンバーはすでにその環境の変化を受け入れ、笑顔で送り出す覚悟をしているぞ、というファンに向けたメッセージであり決意表明のようにも感じたのでした。

 いやはや、凄まじくエモーショナルなMVです。とんでもない威力。

 最後の一行がまたグッとぐるんだわ。

 

 

 今この感想文を書きながら思いましたけど、タイトルにもある飛行機雲だって停止している機体には現れないですものね。飛行機雲は必ず飛行機が通った後に残るもので、でも私たちは空に残った飛行機雲を見て、その場にいない・そこからもう去ってしまった機体のことを想像することができるわけです。飛行機雲はやがて散乱して消えていくものだけれども、飛行機雲が残存しているその時だけは、そこに同時にいた飛行機のことを思うことができるのです。このMVも、いつか振り返って見た時に、「そんなことあったな」といつでも今の時間に戻ってこれるわけで。

 それはまさにアルバムをめくるのと同じ作用なわけで、あぁ、だから作中で小坂さんがメンバーの写真を撮っていたのか…と、とめどなく続くエモの連鎖です。エモが止まらねぇぜ。MVの最後には、22人で集合写真を撮るシーンがあるのですが、ここで「22人での最後のシングルなんだな」という現実を突きつけられるのです。でも、写真のメンバーがみんな笑顔でいることがすべてなのでしょう。応援するファン側も、最終的にはその心構えでいたいものです。今はまだ難しくても。

 

 すごい一枚ですよこりゃ。右側に3人ぐらい入りそうなスペースが空いているのも…いや野暮ですね。全部説明するのは。

 

 また、このMVはそういったストーリィだけでなく、随所に日向坂らしさが詰まっているとんでもない濃度の映像作品になっているわけです。以下好きなシーンの羅列(ただのファン目線です)。

 

 冒頭10秒ほどでいきなり見せつけられる、復帰した小坂さんと卒業される渡邉さん二人きりのシーン。こんなんDASADAやん。
 

 

 寮に現れたアイツに対し素手で立ち向かう上村さんと、それを外に逃がすシーン。影山さんの避け方が妙にダサくて、でもそれも本人っぽくて良いです(ド失礼)。

 弾き語りをする花ちゃんズ(松田好花さんと富田鈴花さん)と、そこに加わり、真・花ちゃんズ結成を目論む高本彩花さん(想像です)。

 

 動きがダサかわいい丹生ちゃん。にぶちゃんはリアルでも未だにフラフープで遊んでそう。休みの日とか。

 長電話に非難轟々のメンバーと、そんなことは気にしないにぶちゃん。潮さんの表情が素晴らしい。特に眉。おそらく潮さんは眉の角度だけで喜怒哀楽が表現できると思う。

 


 パーティに向けて部屋を飾り付け中、渡邉さんがまず一人で踊りだすと、それが広まりやがて全員を巻き込んでしまうシーン。きっと実際にも渡邉さんがグループの中ではそういう存在だったんだな、と想像せずにはいられません。

 

 

 そんな全方位爆撃型の激エモMVでございました。この『飛行機雲ができる理由』、歌詞だけをみると感傷的な詩になっています。別れの詩であるように読み取れますし。

 

 サビのこの部分とか…

微笑んでた 君がある日 振り向いたら泣いてたなんて
そんなことって あるのかなって 僕は不安になった
飛行機雲って 自分じゃ何も 気づかないうちに 雲を作って
だからこんなに なぜか切ない 景色に見えるのかもしれない 

 あとこことか。

愛しさを(永遠と)言えないのなら
僕たちは(ああ何を)信じればいいんだ

 しかし、MVを見るとわかるようにメンバーみんなが終始笑顔で、切なさが希望に変えられているわけなんですよね(だからより切なさが強調される、というのもあるけれど)。これは日向坂46のカラーであり魅力であるのだと思いました。いはやは、発売がますます楽しみでございます。

 

 ちなみに飛行機雲ができる理由は、燃料を燃やして生まれた水蒸気が外に排出される時、上空の低温&低気圧環境のための瞬間的に氷になるからです(興ざめな余談を最後に)。

 

不眠・生・もぐ

 4月19日。火曜日。昼間は暖かく過ごしやすかった一日。少し前の日には30℃近くまで上昇していて暑さを感じるくらいでしたが、でも急にまた寒くなったりと、なかなか安定していません。でも春ってそれも魅力だからね(適当に書いています)。

 先週から今年度の講義が始まったり、研究室の引っ越しがあったりと、バタバタと動いています。一日中体を動かした日はヘトヘトになって帰ってくるのですが、持ち前の不眠を存分に発揮しているため、長時間寝られないでいます。眠りについても3時間くらいで目を覚ましてしまうのです。完全にジジイの所業。眠りにつくまでも時間がかかるし、疲れも取れないでいるのです。

 ここ数日間でやたら「生娘」という言葉をやたら目にしたり耳にするようになりました。そもそもの発端となった出来事については詳しくは知らないのですが、「『シャブヅ漬け』なんてVシネでしか聞かないフレーズだな」なんて思いました(関心はしないけれど)。やらかしてしまった当人は、他の企業にいた頃には某商品を流行らせたりと、マーケティングの界隈ではかなり有名な方だそうですね。それが失言一つで過去のキャリアもすべてを失ってしまうものですから、恐ろしいものです。少し前に某市長が金メダルを噛んで大炎上した事例を思い出しました。なんというか、今回の件もメダルの件も、時代の変遷に伴って価値観をアップデートできなかったおじさんの行く末って感じで、悲しい気持ちになりました。きっと仲間内ではそういう言い回しもまかり通っていてゲラゲラと笑っていたんでしょうに(そしてそこには悪意などもなくて)。しかし、今はこうやって他人事のように思っていても、誰しもが失言おじさんになりうる可能性があるのだとも思うのでした。己の中の失言おじさんを肥大化させないように注意して生きていかねば…なんて肝に銘じたのでした。

 また今回の件で「生娘」というワード自体が取り沙汰されているけれど、そういえば「バージンロード」も避けられる言葉になってたりするのかな?なんてふと疑問に思ったのでした。「バージンオイル」も?「処女作」とか「処女林」はもう使わない方が良さそうな言葉になってそうだけど…

 

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 前述の通り、本を読む時間もなかなかとれていないのですが、そんな中で最果タヒ『もぐ∞』と森博嗣『リアルの私はどこにいる?』を読みました。エッセイと小説を1冊ずつのロウスピードです。『もぐ∞』(本当は「もぐ」の∞乗)は食べ物エッセイ。やはり、最果タヒ氏の作品は小説よりもエッセイのほうが私は好みだなーと思ったり。『リアル〜』はWWシリーズの最新作。Wシリーズも含めてずっと楽しみに読んでいるシリーズですが、今回も面白かったです。それにしても、Wシリーズ、WWシリーズともに森博嗣氏のSF作品(そもそも、もうSFとかジャンルで分けることの意味もないのですが)ですが、そういえばSFマガジンなどではあまり名が上がったりしないな、出版社間でいざこざとかあったりするのかしら…?なんて下世話なことを思いました。作品の面白さとは無関係です。