後ろ向きには最適の日々

雑駁なあれこれ

気に入らない演出

 8月3日。火曜日。朝から曇り空がずっと続き、また時おり雨も降っていた一日。そのせいで湿度は高め、不快指数急上昇でした。

 朝から研究室で論文を書いたり講義用のスライドを作っていたのですが、その作業も夕方には飽きて、初めてネット配信でオリンピックを観ました。大会11日目にして初めてです。オリンピックはさほど興味はないどころか、一つ前の記事には大会批判めいたこと(本当はそのつもりはない)も書いていましたが、たまたまその時間帯に体操競技の種目別決勝、女子平均台と男子平行棒がやっていたので、つい観てしまいました(渋いチョイス)。オリンピック大会自体には興味はないのですが、体操競技は自分もやっていたのでほんの少しだけ関心をもっています。といっても、団体や個人総合は翌朝にニュースを流し読んだだけだったのですが。

 さて、体操競技女子ではアメリカにシモーヌ・バイルスという、めちゃくちゃ強い選手がいます。どの競技(女子は床、跳馬段違い平行棒平均台)もドン引きするほど強いので今回もメダル総取りが期待されていたのですが、個人総合や種目別の跳馬段違い平行棒を棄権していました。なので、平均台では出場するということで、体操ファンの間で注目されていました(結果は銅メダル)。

 また、男子の種目別平行棒決勝に日本人選手は出場していなかったですが、私は学生時代体操をやっていた際、この平行棒が一番好きな種目だった(上手いとは言っていない)ので注目していました。そんなわけでパソコンで配信を観ていたのですが、平行棒は今は本当にひねり系の技ばかりです。車輪の途中でひねりを加えたり、棒下からのひねり倒立だったり。これが一昔前だったら、モリスエやドミトリエンコなど、2回宙返りをして腕支持をする技で高難度をとっていくのが主流だったのですが、今はそういった技を構成に入れる選手ってのは少ないです(内村航平選手が出場してたらそういう2宙返り系の技を取り入れていたのですが)。

 体操の技ってのはこのように、時代によって技のトレンドってのが結構移り変わっています。ひねり系の技以外でも、平行棒の降り技(最後の着地技)は以前ならば後方の屈伸2回宙返り下りばかりだったのですが、今は抱え込み前方2回宙返りハーフ(半分ひねり)下りの選手が多いです。また平行棒以外でも、鉄棒ならトカチェフから半分ひねってバーを持ち難易度を上げるのがここ数年の流行りですし、床ならひねり技の組み合わせで加点をとっていくのが定石になっています。あと床は前方の2回宙返りも海外の選手ではだいぶ多くなった印象(一昔前はそんなにいなかった記憶)。そういうわけで、技の最近のトレンドなんかを感じながら種目別決勝を観ていました。まぁ、実際に観たのは平均台と平行棒だけだったのですけれども。

 で、競技自体には言うことないのですが、一つ気になった演出が。選手が演技を終えて得点が出るまでの間、技のスロー映像が流れたりするのですが(それは別に良い)VTRも流れ終わって得点が出るまでのほんの数秒の間、「ドクン…ドクン…」みたいな鼓動の音に似せた音が流れるのです。実際の試合会場でも流れているのかはわかりませんが、この演出がまぁ〜〜〜邪魔。視聴者のドキドキを煽っているのかもしれませんが、ちょっと気持ち悪さすら感じてしまいます。なんというか、動物番組で犬くん猫ちゃんが歩く映像に「ぴょこぴょこ」みたいな足音が足されているような感覚です(どうでもいいけど「足音を足す」ってのは字面が気持ち悪い)。明らかに過剰演出ではないでしょうか。素晴らしい演技を観た後だと、よりいっそう興ざめです。

 そんなことを、思ったのでした。

 

 

スポーツの力?

 8月1日。日曜日。今日も朝からずっと暑かった一日。すっかり夏ですね。私が住んでいるのは郊外で家の周りには水田が広がっているため、この時期になると昼間は蝉、夜はカエルが鳴きまくっています。うるせぇぞ生き物どもよ。

 連日ワイドショーではオリンピックのニュースが続いてますが、そこでは聞き飽きるくらい「スポーツ(選手)が感動を与えてくれた」と評されています。他に評価する方法はないんかってぐらい「感動」とか「スポーツの力」というワードを見かけます。もちろんメディアは視聴者が観てくるようにそう仕向けているのだと思いますが、その狙い通りか80%の人が「オリンピックを開催してよかった」と答えているアンケート結果もあるようです(タイトルだけ流し見ただけなのでどう調査したかまでは知りませんが)。「日本の選手が想像を絶するほどの努力をし、そして1年の延期を経て、世界の選手と戦って悲願のメダルを得る」というストーリィが大衆には刺さっているのでしょう。それぐらい、物語には力があります。

 しかしその一方で、その物語に全員が全員流されるのは危険性も孕んでいます。実際に、オリンピックが盛り上がっている(ように見せられている?)一方で、都内の医療体制は逼迫し、感染しても入院すらできない状況に陥っているようです(そういうニュースを見ました)。私なんかは一人暮らしなので、これってめちゃくちゃ怖い状況だな、と思いました。様々ことが便利になり豊かになった(と信じられている)この時代において、治療すら受けられずに重症化する・死に至る可能性があるなんて、数年前には想像もつかなかった事態でしょう。

 そんな時に「スポーツの力」を叫ばれたところで、状況が改善するわけではありません。別にオリンピックやそれを楽しみにしていた人を否定するつもりは全くありませんが、それはそれこれはこれ、だと思います。「コロナに打ち勝って開催に至ったオリンピック」「こういう状況だからこそスポーツで感動を」なんて安い言葉を並べられがちですが、2つの事象を無理やりくっつけてることに意味はないでしょう。「なんだかんだオリンピックやってよかったな」となんとなくの雰囲気だけで大衆が流されてしまうのはちょっと危険だな、と思うのです。

 また、逆の話になるかもしれませんが、凄惨な事故や事件が起こった際に、被害者の言葉を抽出する手法もよく使われます。大きな地震が起こった際は、建物が崩れる映像や被災した人へのインタビューが山程使われます。その悲惨さを見て視聴者は「かわいそうだな」と思うかもしれませんが、感情で状況がよくなるわけではありません(一時的な視聴率は稼げるかもしれませんが)。現実的に、ではその状況において被災地では何を必要としているのか、だとか、どういったメカニズムで災害が起こったか、を淡々と伝える方が全体としてのメリットは大きいと思います(一時的な視聴率は稼げないかもしれませんが)。

 大事なのは冷静さを持ち続けること、なのだと思います。曖昧な力を信じるのではなく。

 …といったことを連日のオリンピック関連のニュースをみながら思ったのですが、「でもよく考えたら自分はスポーツの力は信じてないけど、音楽の力とかライブを見たあとは感動したりアイドルの力を信じたりするよな?」と思い直しました。結局、自分の信じたいものは贔屓して信じてしまうのが人間なのかもしれません(急展開着地)。

 

 

ぶっ壊れ

 7月31日。土曜日。朝からゲロ暑かったり、かと思えば夕立が降ったりと忙しい天気の一日。2週間ぶりに家に戻ってきたので、朝から家の周りの草刈りをしました。自分の庭だったら草が生え放題でも気にしないのですが、家の周りの道路脇の草が伸びてきて視認性が悪くなってきていたので渋々刈りました。おかげで汗まみれです。そういう一日を過ごしています。

 これまでメモや文章を書くのに使っていたキングジムpomera DM200がついにぶっ壊れました。ぶっ壊れたといっても、絶妙に画面が紫がかるという、いや〜〜〜な壊れ方。なので、「ほんとに壊れたんか直す方法あるんちゃうんか??」と訝しんでいましたが、同じ症状の人が個人ブログに書いており、やっぱり故障のようでした。結局役に立つのは公式HPではなく個人ブログ。いつの時代になっても変わんねぇなこの感じ。

 

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 そんな壊れ方で、画面を黒白反転させればギリ見えないこともないという感じなのですが、やはり気持ちが悪い。かといってその個人の方は2万円ほどの有償修理になったと報告されていたので、悩みどころです。いや〜〜〜2万は高い。もともとの新品も3万5千円で買ったわけですし(それでも安くなった時に買っていて、定価は5万円という馬鹿価格設定)。また、DM200も発売してそろそろ5年くらい経ち、新型pomeraもそろそろ出るんじゃないかと噂されていたりそうでなかったり。「新型pomera」とか「pomera DM300」とかで調べると「発売日を予想してみました!」という何の役にも立たない、雑魚ライターが書いたであろうゴミサイトがわんさか出てくる始末です。ばかやろう。

 なので、とりあえず現在はDM200は諦めている状態なのですが、それでも手軽に文章を書けるデバイスは使いたいので、現在はipadにハードウェアキーボードをつなげて使っています。しかしそれはそれで問題があって、ipadは何故かハードウェアキーボードには文字変換ソフトが使えない仕様なのです。iOSの文字変換があまりにも使いにくいので、google日本語入力を使いたかったのですが、どう頑張っても適用できないようです(これもめっちゃ調べた)。なんじゃそれ。

 それに比べたらやはりpomeraの文字入力は優秀です。値段とか壊れ方にぶつくさ言ってますが、やはり文字入力だけに特化したデバイスとしては素晴らしいです。ハードとしての耐久性をアップさせて、あとアップロード機能をもう少し賢くした新型が出ることを願うばかりです。キングジムさんまじでお願いします。この際、公式ツイッターのちょっときちぃ感じにも文句言いませんので。

 

日向坂46主演ドラマ『声春っ!』のこと。

 今年の4月から先月まで日テレ系で放送されていた日向坂46主演ドラマ『声春っ!』の感想文みたいなものを今更書きます。

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 このドラマは昨年の『DASADA』に続く日向坂46主演ドラマ第二弾、のといった触れ込みで放送されたわけですが、このドラマがね、良かった。私的に『DASADA』がめちゃくちゃ面白くてHuluで5周くらい観てBlu-rayも買っていたので、今回の『声春っ!』も期待して視聴していました。そして案の定面白かったのですが、『DASADA』ほど話題になっておらず「なんじゃいっ!」と思ったので感想文を書こうと思ったわけです。なんじゃいっ!

 『声春っ!』公式サイトのイントロダクションには、

沢山の夢と、沢山のバイバイの記録。

"夢"は、声にしないと伝わらない、届かないーー。

アイドルグループ日向坂46のメンバーが、声優を目指す少女を演じる。

きらめき声優学園で繰り広げられる、笑って泣ける、青春ドラマ!!

 と紹介されています。

 「沢山の夢と、沢山のバイバイの記憶。」。この一文が『声春っ!』を表しています(キャッチコピーなんだからそりゃそうなんでしょうけれども)。もちろんドラマは面白かったのですが、それは「ツラい」を含んだ面白さでした。もしかしたら『DASADA』よりも観ていてしんどい(めいこちゃん的に言うならばつんどい)シーンが多かったかも。

 もちろん日向坂46のグループイメージもあるので、ところどころコメディであったり、一応はハッピーエンドを迎えるのですが、それでも観ていてなかなかぶっ刺さる部分が多くてしんどかったです。コーティングしきれない辛さがにじみ出ているようなドラマでした(それ含めて面白かったんですけどね)。

 ストーリィとしては、タイトルにもあるように主人公の日ノ輪めいこちゃん(佐々木美玲さん)が、漫画家の金閣寺炎上先生(竹中直人さん)の作品のアニメ化&声優オーディションを知り、そのためにきらめき声優学園に通い声優になるまで、を描いたドラマです。その声優学園では元気いっぱいの天道まなちゃん(丹生明里さん)や高飛車な尼崎あまねちゃん(渡邉美穂さん)と出会い、仲良くなったりケンカしたりするわけです。でも、めいこちゃんは上手く喋れないというコンプレックスを抱えていたり、知られたくない過去を持っている子がいたりと、それぞれが問題を抱えています。このへんは『DASADA』と似ている設定かもしれません。ただ、『DASADA』ではそのコンプレックスを認めてくれる仲間がいて、そのおかげで自分自身もそのコンプレックスを認められるようになっていきます。おそらくそれが『DASADA』の大きなテーマの一つだったかと思います。

 (このことについては過去に書いたのでよろしければ)

 

sibainu08.hatenablog.com

 

 ですが、『声春っ!』は徹底的にコンプレックスと自身が向き合わされます(仲間がいることで解決につながることもありますが)。舞台が声優学校なので、オーデションに自分だけ受からないこととか、妹のように慕ってくれていた子が先にデビューしてしまったり、寮母さんは声優の仕事がなくて伸び悩んでいたりと、声優学校特有の悩みやコンプレックスが多く登場します。そして主人公のめいこちゃんの場合は特にエグくて、人と話すことが苦手だっためいこちゃんを唯一認めてくれていた校長先生が亡くなったり、男に騙されたり、そしてとうとう声優学園を辞めてしまうまで至ります。もうね、エグいエグい。

 そして、それらを乗り越えるために、色んなこととバイバイすることになります。バイバイすることが唯一の解決手段と言っていいでしょう。コンプレックスとも、友達との関係性とも、自分の過去とも、そして肯定できなかった自分自身とも。でも、きっとそれが夢を追うことの辛さであり、尊さでもあるのかもしれません。声優学校が舞台ですが、それだけに限らず、生きているだけでも人間は色んなモノや人と別れることがあるでしょう。そもそも何かを選択する事自体が、選ばかなかったもう一方の選択肢と別れることです。そしてそのバイバイが正しい選択なのかどうかなんて、その瞬間はわからないし誰も保証してくれません。さらには思い描いていた自分の夢とすらもバイバイしなくてはならない事だってあるわけで、なんというか、「生きることっとしんどい(めいこちゃん的に言うならつんどい)なぁ〜〜〜」としみじみ感じさせられるドラマでした。一応、ドラマとしてはなんとかハッピーエンドを迎えていたけれども。

 そして、主題歌がとんでもなく素晴らしいのです。

 


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 ドラマ主演のみーぱん(佐々木美玲さん)とにぶちゃん(丹生あかりさん)がWセンターの楽曲。素晴らしいですね。MVが美しすぎて涙出そうになります。ちょっと達観して過去を振り返る歌詞は、誰にでもあったであろう、がむしゃらだった頃の気持ちを想起させます。『DASADA』の主題歌『青春の馬』はひたすらに前向きな曲でしたが、『声の足跡』はまた違った角度で、ちょっと大人びいた歌詞もめちゃくちゃ良いです。どちらも青春を肯定してくれる応援ソングですが。

 なにより、『声の足跡』というタイトルがとても好きです。「足跡」は自分の後ろに残っていくものですが、「声」は自分の前に向かって出るものです。前(未来)に向かってはき出した声が自分の足跡(過去)を形成していくという図が、なんだかエモーショナルです。結局、立ち止まってしまった時に信じられるのは自分の声であり言葉なんでしょう。夢を声に出すということはなかなかエネルギーの必要な行為ですが、でも、その声は自分を支えてくれる唯一の味方になってくれるのです。そして声は空気を震わせ自分自身を共鳴させ、熱を発生させてくれるわけです(そこまで考えての曲名かは知りませんが)。もうね、刺さりまくって涙が出そうでした。

 振り付けもドラマティックで素晴らしいので、もうちょっと話題になってもいいんじゃねぇかなぁ、と私は思うのでした。先日の『W-KEYAKI FES. 2021』でのパフォーマンスも素晴らしかったです。そんなドラマ『声春っ!』と主題歌『声の足跡』についてでした。Huluで観られます。

 

 

誰が言ったっていい

 ここ最近、に始まったことじゃいけれど、よく思うことについて。政治家や芸能人が何かやらかすと、それに対して色んな意見が集まります。そしてその中には、過去に何かしらやらかした別の著名人の意見も含まれていて、その意見に対して「お前が言うな」というコメントが山のように集まってきます。主にヤフーニュースのコメント欄とかSNSとか。

 この「お前が言うな」ってのが、昔からどうも好きになれないでいます。別に今に始まったことではないのですが、特にここ最近ではオリンピックや新型コロナウイルス関連のニュースで目にするようになってきました。しかし、「お前が言うな」と言ってしまったらそこで議論は終わってしまいます。そもそも議論にすらなっていません。大事なのは「誰が言ったか」ではなくて「何を言ったか」でしょう。その内容の論理性こそが、吟味されるべきでしょう。だから、別に不祥事を起こした芸能人が今不祥事を起こした芸能人について意見を言ったっていいし、票の取れていない野党が与党を批判したっていいし、知られていない人が著名人に意見してもいいのです(もちろん、ただの誹謗中傷ではないことが前提だとは思いますが)。例えば、科学論文では雑誌に掲載される前に、「査読」というステップがあります。そこでは有名な教授だろうが学生だろうが条件は同じで、等しく内容に対しての吟味がなされるわけです。

 まぁこの「誰が言ったか」を分離して考える、というのはなかなか難しいことで、えらそうにごちゃごちゃ書いているけど私も完全に出来ているわけではないですがね…(少なくともそうしようとは心がけていますが)

 また、この「お前が言うな」ってのは誰にでも簡単にできる批判(にもなっていないけど)だからこそ、よく使われるのかもしれません。マスコミ側も、それを知っているからこそ、そういった芸能人のラジオやテレビでのちょっとした発言ですらもネットニュースに仕立て上げているのだと思います。簡単にアクセス数やコメント数が稼げる手法であって、大衆に「お前が言うな」とツッコませるようにコントロールされているわけです。マキタスポーツこと槙田雄司氏が著書『一億総ツッコミ時代』の中で、「マスコミの尻馬に乗って安易な魔女狩りがなされている」ことを批判していましたが、まさにその通りだと思います。ツッコミすらもコントロールされていて、そのニュースを受け取る側はそのことに気づいていません。気づく前に次の「お前が言うなニュース」が現れる、無限お前が言うな構造が形成されているのです。

 簡単に「お前が言うな」に流されないように生きていきたいものだな、と思ったのでした。

 以上、最近思うことニュースでございました。 

 

本とか本とか

 7月15日。木曜日。今日は雨がずっと降り続けていた一日。だいたい阿呆みたいに暑いか雨の降り止まない一日が続いていますね。夏って感じです。一日の過ごし方は代わり映えしないのですが、ようやくワクチン1回目の接種をしてきました。モデルナ製です。副反応がどんなものなのかほんのり心配しておりましたが、接種した場所が少しだけ痛んでいるのと、接種した直後に吐き気を催したぐらいで、あとは無傷です。よゆーでした。2回目の方が副反応が強いらしいですが、はたして。

 昨日は芥川賞直木賞の発表がありました。芥川賞受賞の李琴峰氏の『彼岸花が咲く島』を「なーんか知ってんなぁ…?」と思っていたのですが、文學界3月号に載っていたのですね。珍しく購入済みでした。もともとは國分功一郎先生と若林さんの対談記事目的で買ってたのですが、まさか伏線回収(?)するとは。その時はパラパラ流し読みしてしまっていたので、せっかくなので再読しましょう。

 

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 あと、これはどうでもいいことなのですけど、『彼岸花が咲く島』というタイトルだけ見て「彼岸島が受賞!」なんてつまらない事をつぶやいちゃう人は100ワニ映画の悪口大喜利もやってそうだな、と思いました(勝手な想像)。

 また、直木賞で佐藤究氏が受賞していたのが「ほぉ!」って感じでした。文学賞の選考基準は全く詳しくないのですが、佐藤さんの作品ってバイオレンスなモノが多いイメージだったので、そういった作品もとれるんだなぁーと思いました。未だに純文学と大衆文学の違いもよくわかっておりません。

 本の話が続いてしまったので、もうひとつ。先週末に購入した樋口恭介氏の『未来は予測するものではなく創造するものである』を読み終わりました。樋口氏は第5回ハヤカワSFコンテスト大賞を『構造素子』で受賞して作家デビューされた方なのですが、この『構造素子』が私には後頭部打ち付けるぐらいの衝撃で面白かったのです。作品自体のストーリィも面白いし、何より文体のリズム?がすごい好みでした。読み心地が良いというか。おそらく音楽をやられていた方なのでしょう。

 さて、この『未来は〜』は小説作品ではなくてビジネス書に分類される本なのですが、これもまた面白かったです。最近少しずつ耳にするようにもなってきた「SFプロトタイピング」という手法をビジネスに応用していきましょう、という本(ざっくり要約)です。樋口氏は兼業作家で、コンサルタント会社に勤務されています。この本はその経験のこともたくさん書かれていたのですが、読んでいるうちにビジネス書からにいつの間にかSFの書き方の本になっていったのが面白かったです。私にも書けそうだぜ。正直、私は「企業コンサルティング」という言葉にはちょっとうさんくさくて息苦しい印象を持っていたのですが、そのアレルギーもほんのりと払拭されました。自由に未来をあれこれ想像すること、それ自体が自由を再構築し、自由を獲得するための手法にすらなりえる、ということが述べられていて、もしかしたら啓蒙書にも近いのかもしれません。あまり、というかほとんどビジネス書を読まない私ですが、最後まで面白く読めました。おそらくこの人は、SFを、そして小説を愛しているのでしょう。物語を愛し、物語の力を信じ、物語によって紡がれる未来を願っている。その深い愛と希望が随所ににじみ出た、そんな本でございました。

 また、これは私の勝手な願いですが、樋口氏にはそろそろ長編を出してほしいなぁ、と。『構造素子』以降、短編作品は色々な雑誌やアンソロジーに出されていますが、やっぱり長編もそろそろまた読みたいのです。評論集『すべて名もなき未来』も読みましたから(こっちも面白かった)。そんなことを思った今日のこのごろです。

 

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 あと樋口氏の作品は表紙デザインがどれもめたくそオシャレ。ずるい。

 

思ったよりも

 7月13日。太陽サンサンくそ暑火曜日。11日の『W-KEYAKI FES. 2021』Day3を観てから、ずっと櫻坂46さんの『思ったよりも寂しくない』を聴いております。もともと櫻坂さんの楽曲の中ではかなり好き、というか一番好きな曲だったのですが、あのパフォーマンス観せられちゃ、よりいっそう、そりゃねぇ…?


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 MVもめちゃくちゃ良いのです。Day3の感想文にも書きましたが、幸福な曲なのに聴いていると涙が出そうになるのです。それぐらいの威力がある。櫻坂さんも、改名やメンバーの卒業など、苦しい事しんどい事をたくさん経験されてきたグループだと思いますが、その歴史をぼんやりと曲(主に歌詞)に重ねてしまうのですよ。しかもこの曲のセンターを最年少15歳の子(てんちゃん)が努めているというね。

 アイドルの歌う曲は、曲だけが独立していなくて、そのアイドルが歌うことでより一層威力を増している気がします。もちろん他のアーティストでもそうなのかもしれませんが、曲との結びつきがより強いように感じます(個人的な感覚です)。日向坂さんの曲が普遍的なテーマ(初恋など)を残しつつも、日向坂を愛するファンの心情と重ねられる曲が多いように。おそらくそこまでデザインして秋元先生が作詞をしているのでしょうけれども(そしてまんまとその目論見にはめられているわけなんですが…)。

 

 そんなことを思った13日火曜日です。講義のお仕事と、ゼミと、あと色々。そろそろ前期の講義もラストスパートなので、ぽつぽつと試験問題を作り始めています。毎回、この試験問題づくりが一番面倒です。毎年教える内容自体は大きく変わらないので使いまわしでも良いのですが、やっぱりそれだと面白くないので多少は変えたりしつつ(でも平均点が下がりすぎないようにしなくちゃいけないのよねぇ〜)。

 先週末に、文藝2021年秋号と樋口恭介氏の『未来は予測するものではなく創造するものである』を買いました。今月はこの2冊ですかね(セーブしないと読む時間もないくせにどんどん積読本を増やしてしまう)。文藝はやたら出版社(河出書房新社)が遠野遥氏の『教育』を宣伝していましたので、ほんのりと興味を持って読んでみたのですが、私には合わなかったです。失敗でした。怨特集は今のとこどれも面白いからそれだけは良かったですが…

 やはり、出版社の過剰な宣伝は冷静にならないといけないですね。人からおすすめされる本で面白いモノって少ないですし。だからといって面白いとつぶやいている人(を、出版社がたくさんRTしていた)を否定するつもりは全くありませんが。自分に合うか合わないかだけです。結局本でも曲の歌詞でも、自分の経験してきたことやしてこなかったこと、そしてそれが傷として残っているかどうかが、合う合わないを左右することにつながるのでしょう。

 

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 樋口氏の『未来は〜』はまだ読んでないですが、楽しみです。こちらは信頼している作家さんなので、安心しています。